Susumu Hirano; Professor of Law, Graduate School of Policy Studies, Chuo University (Tokyo, JAPAN); Member of the New York State Bar (The United States of America) . Copyright (c) 2007-2008, 2015 by Susumu Hirano. All rights reserved. 但し作成者の氏名&出典を明示して使用することは許諾します。もっとも何時にても作成者の裁量によって許諾を撤回することができることとします。当ページ/サイトの利用条件はココをクリック。Terms and Conditions for the use of this Page or Site. 当サイトは「12人の怒れる男」を通じて、アメリカ等の法律学における学際的分野「法と文学」(Law & Literature)の研究および教育用サイトです。関連ページは「法と文化研究」(Law & Cultural Studiesのページです。
作品のあらすじ / 作品が制作された背景等 / 「陪審評議」を扱う稀な作品 / 「陪審制度」の法上の根拠 / 実際には一人で11人の多数派を覆すのは困難 / 一人のヒーローが他の弱者を救うと云う流行の[西部劇的]なプロット / もし陪審員#8が居なかったなら冤罪の虞の在る制度か? / 司法の専門家達が適切な職務執行を怠っている設定 / 熟議(deliberation)の重要性 / 全員一致方式の陪審制度・複数者による評議の重要性 / 真実は不明であると云う現実 / 勝手に陪審員が法廷外証拠を調査し評議の対象にした問題 / 中立性の法文化人類学的意義 / 証拠法 / 「12人の優しい日本人」 / ロシア映画「12」 / civic duty: 陪審員の義務とは何か? / 「ニューオーリンズ・トライアル」との比較 / 公選弁護人と法曹倫理 / デミー・ムーア主演映画「陪審員」との違い / 陪審員の全員が白人男性であることの意味 / 「12人の怒れる男」に於ける映像表現的特徴 / ヘンリー・フォンダが主人公であることの意味 / 欧州の戦火を逃れた移民の陪審員(Jury No.11)による演説 / 老齢な陪審員(Jury No.9)の観察力 / 「jury nullification」(陪審による法の無視)問題について / 陪審制度の歴史 / 参考文献
更に深い研究に興味の在る方は、「徹底研究『十二人の怒れる男』(その1)」「徹底研究『十二人の怒れる男』(その2)」「徹底研究『十二人の怒れる男』(その3)」「徹底研究『十二人の怒れる男』(その4)」「徹底研究『十二人の怒れる男』(その5)」のページをご覧下さい。
以下は本作品を研究分析・教育する上で必要な限度であらすじを紹介するものです。未だ観てない方は、以下を読むと「ネタばれ」になるのでお気を付け下さい。それではあらすじを読みたい方は以下をクリックして下さい。 「あらすじ(プロット)」
そもそもはTV番組用に1954年に制作された作品だった。当時の番組は収録形式が出来ず、ライブで放送しなければならなかったので、結果的に非常に密度の高いドラマに仕上がったのである。
See Landsman, Mad about 12 Angry Men, infra, at 749-50.
制作された当時はちょうど「レッド・パージ」が吹き荒れていた中で(陪審員#3を演じるLee J. Cobbもその渦に巻き込まれた役者であった)、ハリウッドもその波の最中であった。映画作品もソ連に対してアメリカの優位性を劇的に表すようなものが好まれた。だから「12人の怒れる男」がアメリカ司法制度の優位性を謳っている点は驚きでは無い。 ABAからも受賞をした作品。
See Landsman, Mad about 12 Angry Men, infra, at 750-51.
興行的には支持を得られなかった作品である。主に「通(ツウ)に受け」る作品で、大衆受けはしない。、
See Landsman, Mad about 12 Angry Men, infra, at 756.
監督のシドニー・ラメット曰く、「12人の怒れる男」は、陪審賛成映画でも、反対映画でも無い。これは…人間行動に関する映画である、と。
See Landsman, , Mad about 12 Angry Men, infra, at 757-58.
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元々は、Reginald Roseの舞台演劇。同氏が実際の陪審員体験に基づいて書いたものを、Sidney Lumetが最初にTV用に監督し、後に映画で初監督した作品。 アカデミー賞の三つの候補に成ったけれども、それら全ては競合作品「戦場に掛ける橋」に持って行かれてしまった。
See The 25 Greatest Legal Movies, ABA JOURNAL electronic site, Aug. 2008, available at <http://www.abajournal.com/gallery_top25movies/single/top25movies/98> (last visited July 7, 2008 JST).
少なくとも法学研究の学者達の間に於いては、「trial film」(法廷映画)というジャンルを創設することに貢献したと理解されている作品。
See Norman Rosenberg, Symposium, Law and Popular Culture: Looking for Law in All the Old Traces: The Movie of Classical Hollywood, the Law and the Case(s) of Film Noir, 48 UCLA L. REV. 1443, 1446 n.17 (2001).
殺人事件の「陪審評議」(jury deliberation)を全編で扱った作品。陪審制度の強みと弱みを紹介している。証拠の評価を再検討することを主人公が力説、説得。特に、証拠の整合性(coherent)と信憑性(believable)を問うている。
See Christine Alice Corcos, Symposium, Legal Fictions, Irony, Storytelling, Truth, and Justice in the Modern Courtroom Drama, 25 ARK. LITTLE ROCK L. REV. 503, 616 (2003).
なお、陪審制度の「弱み」については、証拠の評価等が素人によって行われるという点も挙げることができるかもしれません。作品が示すように、陪審評議は陪審員達が裁判官による介入なしに、ほぼ全てを行う制度になっているのです。 それでも素人の陪審制度がアメリカでは支持されている理由の一つとしては、専門家に権限を付与する官僚主義的な「ヒエラルキー典型」(hierarchical ideal)を嫌う一方で、素人への権限付与を好む(coordinate ideal)というアメリカ文化の価値観が影響を与えているかもしれません。この点について参考になるのは、拙ウエブページ「法と文化」内の、「アメリカ文化の特徴」の項を参照下さい。
陪審の評議室を、文化も法も神聖で不可侵なものと看做して来た。陪審評議を扱うジョン・グリシャムの「The Runaway Jury」(*)や「12人の怒れる男」のような作品は、例外的である。 / [しかし]陪審評議のダイナミズムを中心に描いたドラマは「12人の怒れる男」以降、出て来ていない。
(*)映画化された同作品「ニューオーリンズ・トライアル」の予告編は、〈https://www.youtube.com/watch?v=CaVZ0-oc0bA〉(last visited on Jan.04, 2016).
See Jeffrey Abramson, The Jury and Popular Culture, 50 DE PAUL L. REV. 497, 497、523 (2000).
陪審裁判を扱う作品はあっても、同僚の陪審員の個性等を描いた作品は少ない。しかし「12人の怒れる男」は陪審員の個性を描いている。
作品の最初には凾ノ不利な証拠が圧倒的であるがのごとくに示されていて、凾ェ有罪であるとする11人の陪審員に観客も共感するように思わせるけれども、次第に陪審員の中に疑問が広がるのと同様に観客も疑問を有するように作られている。
陪審評議を扱った作品なのに、法廷に於ける検察対弁護人の対決に似たドラマ性を有している理由は、検察と弁護人のような役割を陪審員が演じているからである。陪審員#8が弁護人の役を演じることが正当化される訳は、トライアルの中では本当の弁護人がきちんと職責を果たしていなかったからである旨をヘンリー・フォンダが示唆している。 → 後掲「公選弁護人と法曹倫理」と「勝手に陪審員が法廷外証拠を調査し評議の対象にした問題」の項参照。
See ASIMOW & MADER, LAW AND POPULAR CULTURE, infra, at 138.
法廷に居る陪審員を扱うのでは無く、殆ど評議室の情景のみを扱ったような作品は他に例を見ない。陪審評議の様子が恰(あたか)も民主主義手続の縮図のように描かれている。 / "a tribute[捧げ物・賛辞] to the deliberative process"な映画である。
See Papke, 12 Angry Men Is Not an Archetype, infra, at 742, 745.
アメリカ文化史の中で、法関連の思想を最も集中的かつ強力に反映しているものの一つが、「12人の怒れる男」や「アラバマ物語」等である。
See David Ray Papke, Law, Cinema, and Ideology: Hollywood Legal Films of the 1950s, 48 UCLA L. Rev. 1473, 1474 (2001) .
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合衆国憲法(修正条項)は、以下のように陪審裁判の権利を規定しています。
まずは刑事陪審裁判を受ける権利については、以下、修正第六。
In all criminal prosecutions, the accused shall enjoy the right to a speedy and public trial, by an impartial jury of the State and district wherein the crime shall have been committed...
U.S. CONST. amend. VI.
次に民事陪審裁判を受ける権利については、以下、修正第七。
In suits at common law, where the value in contriversy shall exceed twenty dollars, the right of trial by jury shall preserved...
U.S. CONST. amend. VII.
すなわち陪審裁判は「権利」なので、両当事者が権利放棄しない限りは原則として陪審裁判となる。尤も刑事では軽犯罪(罰金刑や禁固六ヶ月未満の刑)と、民事では衡平法上の救済は、憲法上非陪審(bench trial)になるけれども、前者(軽犯罪)では憲法が保障していなくても法律上は陪審裁判が用意されている場合がある。
See ASIMOW & MADER, LAW AND POPULAR CULTURE, infra, at 138
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たった一人の陪審員が他の11名を説得してしまうという話は、実際にはとても例外的(i.e., あり得ない)。
See Antony Page, Batson's Blind-Spot: Unconscious Stereotyping and the Peremptory Challenge, 85 B.U.L. REV. 155, 247 n.470 (2005).
同旨は、See Landsman, Mad about 12 Angry Men, infra, at 755 (通常は最初の投票に副った評決に至り、一人の反対者は覆せないと指摘).
[実際の]陪審員は、規範的圧力と情報の圧力を用いて、多数派がその説を少数派に説得してしまうものである。
See Shari Seidman Diamond, Essay, Beyond Fantasy and Nightmare: A Portrait of the Jury, 54 BUFFALO L. REV. 717, 760 (2006).
一人の陪審員が他の11人を説得してしまうことは現実生活では殆ど発生しない(almost never occur in real life)。多数に従わせる圧力は強いものである。
See Nancy S. Marder, Deliberations and Disclosures: A Study of Post-Verdict Interviews of Jurors, 82 IOWA L. REV. 465, 500 n.193 (1997).
僅か一人の少数派が評決に影響を与えたりhung jury(評決不能陪審)に持ち込むことはめったにないことが複数の研究結果から明らかである。12人の陪審の決定に対して少数派が影響を与える為には少なくとも3名以上の陪審が必要という研究結果もある。
See Nancy J. King, Postconviction Review of Jury Discrimination: Measuring the Effects of Juror Race on Jury Decision, 92 MICH. L. REV. 63, 98-99 (1993).
同旨の指摘は、see, e.g., Nancy S. Marder, The Myth of the Nullifying Jury, 93 NW. U. L. REV. 877, 945 (1999).
ハリウッドでは主人公がに立ちはだかる障害が大きければ大きい程にドラマとしてはより良くなるので、フォンダ扮する陪審員が一人で全ての陪審員を説得する困難に立ち向かう設定になっている。
See Suzanne Shale, Symposium, Picturing Justice: Images of Law and Lawyers in the Visual Media: The Conflict of Law and the Character of Men: Writing Reversal of Fortune and Judgmnent at Nuremberg, 30 U.S.F. J. REV. 991, 1010 (1996).
陪審の研究は一人の主張が他の陪審員を説得してしまうことは殆どあり得ないことを示している。しかしドラマは平凡さに縛られる必要はない。平凡さは劇的ではない。「12人の怒れる男」はドラマとして説得力があり、重要な幾つかのメッセージを伝えている。その一つは推定無罪(presumed innocent)とその意味である。社会が人を刑罰の地獄に送る前に、適正手続の機会が付与されなければならない(due process must have its day(*))。注意深く、調査的・探求的で、偏見のないトライアルを凾ヘ受けなければならないのである。... 陪審は集団的組織であり、集団として行動するけれども、各事件と各凾個人として扱わなければならない。
(*) 「a day in court」とは . . . 。
See Lawrence M. Friedman, Symposium, Popular Legal Culture: Law, Lawyers, and Popular Culture, 98 YALE L. J. 1579, 1594 (1989).
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「12人の怒れる男」は、「白い帽子」(white hat)を被った、或いは「白いスーツ」(white suit)を着た、一人の、物静かだが強い英雄が、弱き同僚や共同体を救うと云う、西部劇の当時流行のプロットに成っている。陪審員#8を演じるヘンリー・フォンダは、「怒りの葡萄」に於けるキリストのようなTom Joadや、「荒野の決闘」のワイアット・アープのように、他の陪審員達とは違った「白いスーツ」を着た男として登場するのである。 → 後掲「ヘンリー・フォンダが主人公であることの意味」も参照。
See Landsman, Mad about 12 Angry Men, infra, at 751.
陪審員#8は男らしく且つ知的で、他の陪審員よりも優位に立っている。弁護人側の主張立証が弱かったので、陪審員#8が外に出て代わりに調査を行ってしまうのである。 → 「勝手に陪審員が法廷外証拠を調査し評議の対象にした問題」と「司法の専門家達が適切な職務執行を怠っている設定」と「公選弁護人と法曹倫理」の項も参照。
See Landsman, Mad about 12 Angry Men, infra, at 751-52.
陪審員#7などは、野球観戦に行きたがって居るという設定である。
See Landsman, Mad about 12 Angry Men, infra, at 754.
確かに「ヤンキース」の試合のチケットを持っていて早く帰りたい様を示す場面が出て来ます。
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これは当ウエブサイト作者が大学で、「12人の怒れる男」を教材に用いた講義の後に、受講生達に感想文を書いてもらってしばしば見掛ける指摘です。
アメリカの論者も以下のように云っています。
どの十二人の陪審に於いても陪審員#8のような優れた人物が入ってくれると云う保証が無い限りは、「12人の怒れる男」が[アメリカのソ連に対する]優秀さを示していることには成らない。だから[「12人の怒れる男」故に]陪審制度が賞賛に値すると云うことには成ら無い。. / 「12人の怒れる男」中の陪審は、正しい評決に至る確率と同じ位に誤った陪審に成る確率も在る。
See Landsman, Mad about 12 Angry Men, infra, at 754, 755.
確かに大衆法意識に於いては、アメリカでも、陪審員というものは感情に走り勝ちで不合理で云々、と云う反応が大きいようです。
しかし、そのような危うさも在るからこそ、市民は陪審の義務を果たす際に、熱心に「熟議」(deliberation)する必要があるのだと云うメッセージを、「12人の怒れる男」が伝えて居ると、当ウエブサイト作者は解釈しているのですが、如何でしょうか?
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「公選弁護人と法曹倫理」の項で指摘するように、弁護士が被告人の擁護の努力を行っているのみならず、裁判官や検察・警察といった他の司法機関も、冤罪を回避する為の努力を欠き過ぎている居るという批判が以下のようにあります。
警察は明らかにきちんとした犯罪現場の捜査を行っていない。何故ならば凶器と傷の角度という基本を抑えていないからである。更には証人の足の悪いことや近視眼であることにも、注意を払わなかった。検察も自身の立場に執着し過ぎた為に、証拠の欠点を発見し損なっている。弁護人も仕事がずさんだから、陪審員#8が飽きれている。裁判官も裁判に飽き飽きした表情で、且つ冤罪に成る虞に全く無頓着である。→「公選弁護人と法曹倫理」と「勝手に陪審員が法廷外証拠を調査し評議の対象にした問題」の項も参照。
See Landsman, Mad about 12 Angry Men, infra, at 752.
しかし当ウエブサイト作者としては、劇的な演出としてそのようなプロットに成っていると解釈します。--実際の陪審評議はもっと淡々としたものでしょうから、映画として全く面白く無いものに成ってしまうことでしょう。
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「12人の怒れる男」のパワフルなメッセージは、個々人が見解の相違を克服でき且つ克服すべきであり、しかも互いに合理的に考え合う点に在る。このpopular sovereignty(主権在民)こそが、法の下の正義(justice under law)を提供する制度の中核である旨を、同映画は示唆しているのである。同映画は、私達の陪審への信頼を促進させ、延いては同僚(fellow men)への信頼をも確信させてくれる。
See Papke, 12 Angry Men Is Not an Archetype, infra, at 746.
「12人の怒れる男」の中の真のヒーローは、「熟議の機構」(deliberative mechanism)にこそ在る。熟議の核心はギヴ・アンド・テイクである。各自の主張は暫定的なものなのであり、この不確実な現世ではそれこそが[熟議の機構に]組み込まれている。人々が結果を公正だと思うのは、殆どの場合、司法手続の質に懸かっている。陪審員達は個人では超え難いチャレンジに遭遇し、これを皆で超えて行く。十二人で共に行動すれば、一人では達成できないことも達成できるのである。
See Landsman, Mad about 12 Angry Men, infra, at 757.
人々の団体が、各構成員個人の限界を超えるべく、成長する様を私達は目の前で見る。これこそが、陪審が出来ることであり、且つしばしば行うことなのである。
See Landsman, Mad about 12 Angry Men, infra, at 758 (emphasis added).
上の指摘は、所謂「一人の賢い判事に裁かれるよりも、寧ろ、十二人の正直な隣人に裁かれたい」と云う、アメリカ的陪審制度の核心を突く評価ではないでしょうか? 学生の皆さんへ質問: 「皆さんは、どちらを好みますか?」
確かに「12人の怒れる男」では、陪審員#8だけではなく、#9や、#11や、スラム街育ちの#5も居たからこそ、様々な気付きに至っています。ジョン・ロールズが『正義論』で指摘するように(次項参照)、誰でも一人だけでは洞察力や合理性には限界が在るのですから、他人の声に謙虚に耳を傾ける必要が在ると云うことではないでしょうか?
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陪審#8(ヘンリー・フォンダ)の台詞「Well, I guess we talk.」の意味。
全員一致の原則を批判して10名程度の同意で足りるとする主張は、理不尽な一〜二名の少数派がぶち壊しにすることの不当さを強調する。そのような主張は、最早、人々の知力(mind)の中に「12人の怒れる男」がアメリカ陪審の大衆イメージとして存在しなくなったことを表すものである。反対者が何か有用な意見を有していて少なくともその意見を聞くべきであるという概念は、現代意識から消え去ってしまったのである。全員一致制の方が、人々はもっと徹底的に議論して、もっと敵対的ではなくなり、参加者は結果にもっと納得し、場合によっては少数派が多数派を説得する場合もあるという社会科学的研究結果も忘れられているのだ。嘗てはhung juryは、多数派が少数派の良心に反する投票を強要しないものとして陪審制度が健全に機能している証と捉えられていたのであるけれども、現在では、正義を邪魔する悪い陪審員の存在のみを表すものとして陪審制度の失敗であると捉えられているのだ。
See Phoebe C. Ellsworth & Alan Reifman, Juror Comprehension and Public Policy: Perceived Problems and Proposed Solutions, 6 PSYCH. PUB. POL. AND L. 788, 793-94 (2000).
授業で「12人の怒れる男」を見終わった後、受講生は全員、刑事事件を裁くのに12人以上の陪審が不要である点で一致した。
See Charles I. Lugosi, Reflections from Embassy Lakes, Florida: The Effective Teaching of Criminal Law, 48 ST. LOUIS L. J. 1337, 1343 (2004).
なお連邦民事陪審裁判では6人で行うことも許されています。果たして6名と12名とでは、どのような差異が生じるのでしょうか???
キャス・サンスタインの以下の論文は、討議の重要性を考える素材として有用かもしれません。なお同論文の冒頭で、ロールズの引用を以下のように示している点も考えさせられます。
In everyday life the exchange of opinion with others checks our partiality and widens our perspective; we are made to see things from their standpoint and the limits of our vision are brought home to us.... The benefits from discussion lie in the fact that even representative legislators are limited in knowledge and the ability to reason. No one of them knows everything the others know, or can make all the same inferences that they can draw in concert. Discussion is a way of combining information and enlarging the range of arguments.
JOHN RAWLS, A THEORY OF JUSTICE (1971) cited in Cass R. Sunstein, Essay, Deliberative Trouble? Why Groups Go to Extremes, 110 YALE L. J. 71, 71 (2000).
なお同論文で紹介している「カスケード」等の概念については、拙書「アメリカ不法行為法」の389-92頁でも紹介しているので参照して下さい。更に「法と認知心理学」の頁内の「Available Cascade」の項も要参照。
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陪審裁判は、社会共同体の良心(conscience of the community)であるとされる。 陪審制は「deliberative democracy」の素晴らしい実例である。他の政府権力に於いては、普通の人は全て間接的に、代議士や判事や官僚を通じてのみ、執行されているのである。 「12人の異なる知力(minds)が、…判断に於いて一つにならねばならない。全員一致に、である。」
See ASIMOW & MADER, LAW AND POPULAR CULTURE, infra, at 139.
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日本ではしばしば「裁判は真実追及の場」などとマヤカシが云われます。しかし人は神ではないのですから、真実が判るはずはありません。寧ろもっと現実的に、そもそも人の能力には限界があると認識した上で、制度を考えた方が良いはずです。
その点、アメリカ人の大衆意識の方が、日本人よりも、現実的だと思われます。
「12人の怒れる男」でも、被告人が本当に殺して居ないのか否かは、不明なままの設定に成っています。要は、合理的な疑いを超える立証責任を果たしたか否かがルールなのであって、合理的な疑いが残れば有罪に出来ないだけなのです。その意味では、「O.J.シンプソン(第一刑事)事件」も、アフリカ系アメリカ人が大勢を占めた陪審員が無罪評決を下したのも、そもそも検察側が合理的疑いを超えた立証責任を怠ったのだから正しいと解する向きも在ります。
ところで「12人の怒れる男」に関する以下の論者の指摘は、真実と正義とは異なる事実を前向きに捉えていて参考に成ります。
「12人の怒れる男」は、真実が自明では無いことを思い起こしてくれる。それは[努力]次第なもの故に、苦労して求めなければ成らないのである。「12人の怒れる男」では、明白な答えの無い所で、最善の可能な仕事をする努力から生じる威厳が示されている。失敗するかもしれない危険を知りながらも、努力を引き受ける人々の一団が、威厳を高めるのである。被告人が無実であることは全く明白でない。陪審が結論を下したのは、有罪にするには合理的な疑いが在るということである。そのような疑いを受容できれば、複雑過ぎる現実に対して、簡単過ぎる結論を課そうとする誘惑に抵抗できるのである。
See Landsman, , Mad about 12 Angry Men, infra, at 757 (emphasis added).
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「12人の怒れる男」に於いて、法手続上、違法性の在る争点のに一つは、殺害に使用されたジャック[飛び出し]ナイフと同型のジャック・ナイフを、陪審員#8が、「法廷外証拠」であるにも拘わらず、勝手に街で探し出して評議室に持ち込んで評議の対象にしたことに在ります。アメリカの様々な論者も以下のようにその問題を指摘しています。
陪審員#8自身が法執行を行ってしまう様は、西部無法地帯の自警団的正義漢の現れである。[しかし]他の全てのcourt's officers[弁護人、裁判官、および検察官達]が仕事をきちんとやらないからこそ、陪審員#8がそのような[弁護人の役割を]やる設定に成っている。
陪審員#8は違法にも、自身で証拠を捜査して、新たに発見した証拠を法廷での吟味に付さないまま評議室内に持ち込んで、他の陪審員達を説得している。 このように、法を無視した自警団的な正義観が「12人の怒れる男」では用いられている。そのようは態度は、法廷内での公正な裁判だけが中立的な十二人の決定の基礎と成ると云う陪審裁判の核心的な倫理に反している。
→「司法の専門家達が適切な職務執行を怠っている設定」と「公選弁護人と法曹倫理」と「一人のヒーローが他の弱者を救うと云う流行の[西部劇的]なプロット」の項も参照。
See Landsman, , Mad about 12 Angry Men, infra, at 752.
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「I'm not loyal to one side or the other.」というセリフについて。
拙ウエブページ「法と文化」内の、「法と文化人類学」の項を参照。
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逮捕の際に被疑者に対して警察が告知する「ミランダ警告」の中で語られるように、被告人には公選弁護人を付してもらう権利がありますが、現実には資力も能力も欠けがちな公選弁護人による弁護がきちんと被告人の権利を平等に擁護していないという争点があります。本作品でもその争点が垣間見れます。
以下、陪審員#8が一人だけ無罪票を投じた理由を話し始める部分の台詞にもそれが現れています。(以下の引用文の内、カギカッコ内は実際の映像中の台詞で、その前の消線部のBut I sarted ....で始まるセンテンスが台詞集の方の台詞です。)
8th Juror All right. I haven’t got anything brilliant. I only know as much as you do. According to the testimony the boy looks guilty. Maybe he is. I sat there forthree[six] days listening while the evidence built up. Everybody sounded so positive that I started to get a peculiar feeling about this trial. I mean, nothing is that positive. I had [many] questions I would have liked to ask. Maybe they wouldn’t have meant anything. I don’t know. ButI started to feel that the defense counsel wasn’t doing his job.[I began feeling that Defense Counsel was not conducting thorough enough cross examinations.] He let too many things go. Little things.
12 Angry Men, at 17 and Ch.4.0:24:30(emphasis added).
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11人の陪審員は証拠と、凾フ性格と有罪とをmisjudgeした。他人が抱く偏見や認識(prejudices amd bias/perceptions of others)の存在を再確認させてくれる映画である。
See Alan A. Stone, Teaching Film at Harvard Law School, 24 LEGAL STUD. FORUM 573, 579 (1999).
如何に証人が容易く騙されるのかをヘンリー・フォンダが執拗に示したからこそ、他の陪審員達が説得されたのである。息子が父親を殺害したところを見たと証言する女性は近視眼過ぎてその遠さのものは何も明確に見えないことが示され、crash音が聞こえてドアを空けたところ息子が逃げる場面を見たと言う老人も足がわるくて現場を見れる程にドアを素早く空ける為に歩くことが不可能なことも示されたのである。これら証人は害意ゆえに誤った証言をしたのではなく、彼らが記憶していたことが真実であると信じていたのである。
See Jennifer L. Mnookin & Nancy West, Theaters of Proof: Visual Evidence and the Law in Call Northside 777, 13 YALE J. L. & HUMAN. 329, 351 (2001)(emphasis added).
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Shun Nakaharaが作ったパロディ映画「12人の優しい日本人」(Twelve Kind Japanese, 1991,三谷幸喜 作/演出)は、サラリーマンや主婦等の日本人のステレオタイプを描きながらも、最後の陪審の結論は日本人が合理的で民主的なものに至るというものである。
See Kent Anderson & Mark Nolan, Lay Participation in the Japanese Justice System: A Few Preliminary Thoughts regarding the Law Assessor System (saiban-in seido) from Domestic Historical and International Psychological Perspective, 37 VAND. J. TRANSNAT'L L. 935, 937 (2004).
「12人の優しい日本人」は、丁寧過ぎたり、権威に従い過ぎたり、対立を回避したがり過ぎたりと云う日本人の特性ゆえに、陪審裁判など日本では在り得ないと云う点が中心的なジョークに成っている。しかし、結局は、日本人でさえも、「集団的正義」(group justice)に立ち上がれることを示している。「12人の怒れる男」は、人類に共通する人間性の本性を発見させてくれたようである。それこそが大事にして思い返すべき「12人の怒れる男」の持つ洞察力である。
See Landsman, Mad about 12 Angry Men, infra, at 758.
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このロシア版リメーク作品「12」の特徴は、以下に在ると思われます。
明るい浜辺の在る世界に飛び出すか、[或いは]狭い屋内に留まるか――決めるのは自分だ。誰も他人は決めてくれない。…
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sarcasticで反司法的正義(ポスト・モダンなlegal realism?)を示す「ニューオーリンズ・トライアル」(Runaway Jury, 2003)と、法律映画黄金時代の「12人の怒れる男」の理想主義との比較。
後掲「『jury nullification』(陪審による法の無視)問題について」の項も参照。
「メッセージを送る」民事陪審の問題点。 -- 「メッセージを送る」という準立法的機能を果たしてしまえる陪審裁判制度の問題については、拙書『アメリカ不法行為法』138-39頁も参照下さい。
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「ニューオーリンズ・トライアル」ではgenuine deliverative processの可能性や重要性に就いて考慮させられるような所が全く欠けているので、「12人の怒れる男」とは全く異なる。
See Papke, 12 Angry Men Is Not an Archetype, infra, at 745.
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被告人を無罪にしないと子供や友人を殺すとアレック・ボールドウインからデミー・ムーア演じる陪審員が脅されるリーガル・スリラー映画「陪審員」(The Juror, 1996)は、ヒロイン役の女性が困難に打ち勝って正義を勝ち取るプロット("women in peril" genre)なので、そもそも「12人の怒れる男」とは異なる。
See Papke, 12 Angry Men Is Not an Archetype, infra, at 745.
確かに、そういう意味ではデミームーアの映画「陪審員」は、どちらかと云えば映画「エリン・ブロコビッチ」に似た女性映画系統に分類すべきかもしれません。
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女性は証人の役しか与えられておらず、男達が全てを行っている男の世界である。
See Landsman, Mad about 12 Angry Men, infra, at 753.
上の指摘は、ジェンダー的ですね。しかし、だからこそ、「キレ易いオヤジ」達のドラマに成っている、と解することができるかもしれません:-)。
「12人の怒れる男」の演技は殆どが暴力的で敵対的な議論に成っていて、男と云うものは仕事を成し遂げる為には怒らねばなら無いと云うステレオタイプに基づいている。
See Landsman, Mad about 12 Angry Men, infra, at 753.
うーむ。しかし、昨今の日本の「キレ易いオヤジ」現象は、「12人の怒れる男」に於ける男の描き方がまんざら現実離れしているとも思えなくなって来た気がします:-)
尤も当ウエブサイト作者も、社会の全階層の代表と云えるか?という問題を「12人の怒れる男」から感じています。被告人はプエルトリコ人で、陪審員は皆が白人という点が、「アラバマ物語」のようでもあり、特に近時の陪審制度改革が目指す改善対象に成る気もします。「ロドリー・キング事件」は全員白人の陪審員が白人警官達を無罪評決にし、「O.J.シンプソン第一(刑事)事件」ではアフリカ系アメリカ人が多数を占める陪審が無罪評決を下して、問題視さえているからです。そう云えばグリシャムの「評決のとき」も原題は「A Time to Kill」で、「アラバマ物語」の原題に似ているのは、気のせいでしょうか???
ちなみにTV番組用のリメーク版では、アフリカ系アメリカ人の陪審員が四名参加し、且つ、判事の役も女性が演じています。大衆法文化は時代と社会規範観を反映する鏡であり、同時に社会に規範を示す指針でもあると云える証左ではないでしょうか?
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クローズアップは、その登場人物が心理的に孤立している心情を描く作用がある。更に、強烈な感情も描く作用がある。
最後まで凾フ有罪に固執した陪審員#3(juror No.3)を写す際にはクローズアップが多い。特に他の全員が無罪に傾くに至って迄も有罪に固執する理由の説明を強要される場面はクローズアップになっている。
See ASIMOW & MADER, LAW AND POPULAR CULTURE, infra, at 135.
最後のシーンで、それ迄は番号でしか呼び合っていなかった陪審員同士が、名前を明かし合って裁判所の階段を下りてそれぞれ帰って行くシーンは、[名前さえ知らない者同士が中立的に真摯な議論をしてから何も無かったかのように当たり前に再び日常生活に戻っていることを象徴していて] 興味深い。陪審員番号で呼び合っていた間柄が、氏名で呼び合う仲に代わることで、陪審員としての役割を終えて、日常生活者の立場に戻ることを象徴しているのである。
See Papke, 12 Angry Men Is Not an Archetype, infra, at 741 & n.19 (emphasis added).
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ヘンリー・フォンダは純粋なアメリカン・ヒーローである。
Papke, 12 Angry Men Is Not an Archetype, infra, at 735.
ヘンリー・フォンダや、ジョン・ウエイン、ポール・ニューマン、およびクリント・イーストウッドといった役者は、「アイコン的」("iconic")あるいは「代表的」("representative")な人物である。作品から作品へと登場する度に、そのキャラクターに伴う意味を蓄積させて行くのである。
(なおクリント・イーストウッドは、「ダーティー・ハリー」や「許されざる者」を通じて、司法手続が正義を生まない欠点を実力行使によって補う孤独なヒーローというアイコニックな人物化(iconic figure)となっている。)
ヘンリー・フォンダはジョン・フォード監督の「怒りの葡萄」(1939年)に於いても、正義を求める若きOkieを演じている。
映画を恒常的に観ている人々は、ヘンリー・フォンダが、推定無罪とかbeyond a reasonable doubtな立証の必要性といった基本的な法的諸原理の擁護者であるというキャラクターを期待している。「12人の怒れる男」の最初から観客はこの物語が如何に終結するのかについての力強い手掛かり(cue)を得ているのである。その劇的な緊張感は結末にではなく、むしろ、法的・憲法的な理想に協調するような陪審評議の手続を進めるべくヘンリー・フォンダが如何に言葉を使い主張を展開するのかという点にこそ存在するのである。
See ASIMOW & MADER, LAW AND POPULAR CULTURE, infra, at 136-37 (emphasis added).
確かに「アラバマ物語」の主人公も、古き良きアメリカの善の象徴的なグレゴリー・ペックでした。同様な役者は現代で言えば、さしずめケビン・コスナーというところでしょうか
なおクリント・イーストウッドの「ダーティー・ハリー」が司法手続の不備と司法外の暴力的正義の象徴としいう指摘は、アメリカ法律論文中にしばしば見受けられます。たとえば拙ウエブページ「法と文化」内の「大衆文化に映る法」の項を参照下さい(L.フリードマンの指摘を紹介しています)。
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アメリカ生まれの他の陪審員達よりも、移民の陪審員[No.11]の方が、アメリカの制度をより良く知っている。
See Papke, 12 Angry Men Is Not an Archetype, infra, at 742 (emphasis added).
確かに、第二幕の冒頭で陪審員No.11が以下のように演説するシーンは、陪審制度の中立公正さと、慎重な評議の重要性を代弁させているように思われます。
Pardon. This fighting. This is not why we are here, to fight. We have a responsibility. This, I have always thought, is a remarkable thing about democracy. .... That we are notified by mail to come down to this place and decide on the guilt or innocence of a man we have never heard of before. We have nothing to gain or lose by our verdict. This is one of the reasons we are strong. We should not make it a personal thing.
12 Angry Men, at ch. 9. 1:00:30 (emphasis added).
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老齢者の虚栄と欲する物を理解できる、老人陪審員の繊細さが、評議で重要な役割を果たしている。
See Papke, 12 Angry Men Is Not an Archetype, infra, at 743.
「12人の怒れる男」は、ヘンリー・フォンダと陪審員#9と云う二人の主要な「父親」達に、他の[劣った]陪審員達が導かれる物語に成っている。二人の賢明さと洞察力が成功の鍵に成っている。陪審員#9は、女性証人の鼻に眼鏡の跡を一人だけ気が付く。
See Landsman, Mad about 12 Angry Men, infra, at 753 (emphais added).
確かに以下の台詞は、陪審員#9が老齢だからこそ感知し得た指摘ではないでしょうか?
9th Juror It’s just that I look at him for a very long time. The seam(縫い目) of his jacket was split under his arm. Did you notice it? I mean, to come into court like that. He was a very old man with a torn jacket and he walked very slowly to the stand. He was dragging his left leg and trying to hide it because he was ashamed. I think I know him better than anyone here. This is a quiet, frightened, insignificant old man who has been nothing all his life, who has never had recognition, his name in the newspaper. Nobody knows him, nobody quotes him, nobody seeks his abvice after seventy-five yeas. That’s a very sad thing to be nothing. A man like this needs to be recognized, to be listened to, to be quoted just once. This is very important. It would be so hard for him to recede(退く) into the background ….
7th Juror Now, wait a minute. Are you trying to tell us he’d lie just so that he could be important once?
9th Juror No. He wouldn’t really lie. But perhaps he’d make himself believe that he’d heard those words and recognized the boy’s face.
12 Angry Men, at 34-35 (emphasis added).
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「jury nullification」とは、法や訴追が不正義であると陪審が信じる場合に、凾ノ対する法の適用を拒否できる陪審の能力を意味する。
その歴史は、1735年に、[英国]王室の官に対しJohn Peter Zengerが名誉毀損的な公表を行っていて明らかに有罪であったにも拘わらず、彼の弁護士であったAndrew Hamiltonが法を無視するように陪審を促したことにまで遡れる。
19世紀迄は陪審が事実問題だけではなく法律問題も判断でき得たのでjury nullificationも理解し得ても、それ以降は陪審には法律問題を決する権能が無くなった為にjury nullificationの法的な有効性は極めて疑問に成って来ている。
陪審は法に従う旨の宣誓を行い、加えて幾つかの州では判事が法の無視を行う陪審員を差し替える権能を有しているにも拘わらず、全米的に法の無視が生じ得るのが実態である。
See ASIMOW & MADER, LAW AND POPULAR CULTURE, infra, at 146.
ポピュラー・カルチャーにはjury nullificationが現れる作品が多いように思われます。たとえば以下のグリシャム作品もその例ではないでしょうか?
「ニューオーリンズ・トライアル」 --- 本来は無責なはずの銃メーカー凾、主人公の陪審員が同僚陪審員を操作して、有責評決に導いてしまうのは、法の無視とも見れるのではないでしょうか?
「評決のとき」 --- 本来は心神喪失ではない凾陪審はそのように認定してしまうプロットは、法の無視であると読める(小説)・見れる(映画)のではないでしょうか?
1066年のノルマン・コンクエストの後に、決闘で紛争解決をはかる制度が徐々に衰退。 / 1229年には、全ての刑事手続で標準的な立証方法に成っていた。新制度の下では陪審員が近隣から召集され、その頃の陪審員は自身で事件を調査することが許されていた。 / 1600年代に成って陪審員自身による調査が衰退して行った。
1830年代にアメリカを旅行したフランス人のアレクシス・デ・トクビルは、陪審制度を評して、物事を統治者に委ねるのではなく、真に被統治者の手に委ねるものと云った。アメリカで理解されている陪審は、the dogma of the sovereignty of the peopleの直接的かつ究極の結果であるように見えると評したのである。更に、陪審は、「the most effective way of establishing the people's rule and the most efficient way of teaching them how to rule」とも評している。
See Papke, 12 Angry Men Is Not an Archetype, infra, at 746-47(emphasis added)(有名なAlexis de Tocqueville, Democracy in America (1835)を引用しつつ指摘).
I. 時系列的概要
冒頭 DVD at ch.1.0:00:18〜33.
l
裁判所を下から見上げる。
「説示」(jury instruction) DVD at ch.1.0:01:22〜0:03:00 Rose at 1.
l
reasonable doubt / 全員白人男性のみ / unanimous (全員一致) / 裁判官のつまらなそうな表情 / alternate jurors are excused―二人が席から外れる
第一回投票 DVD at ch.2.0:10:26〜
l
まずは投票か?議論が先か?
l
8th Jurorだけが無罪投票 ――5分で死刑を決めたくない...ch.3.0:11:35〜13:36
10th Jurorの偏見 DVD at ch.3.0:14:27
l
奴らは生まれながらの嘘吐きだ! ←9th Jurorが反論 〜14:48
互いに理由を述べ合う DVD at ch.3.0:15:20〜ch.4.0:18:18
l
8th Juror: 立証責任は検察側に在る、黙秘権も在る。ch.4.0:16:02
l
3rd Juror等々が次々と根拠(現場、二人の証言概要)を列挙。〜ch.4.0:18:18
l
7th Juror: (被告人)を札付きと決め付ける。ch.4.0:20:16〜20:40
l
3rd Jurorの子供が喧嘩して家出した... ch.4.0:20:49〜22:00
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5th Juror: 自分もスラム育ちだ...ch.4.0:22:32
l
8th Juror: 弁護士が反対尋問をきちっとしていない / 状況証拠だけ / 証人は証言をしている...正確な科学ではない... ch.4.0:24:25〜ch.5.0:25:41
ナイフについて DVD at ch.5.0:28:29〜29:39
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珍しいナイフ / 質屋で入手可
第二回(無記名)投票 DVD at ch.6:0:33:46〜34:30
l
無罪投票は9th Juror その理由は...。
ブレーク・タイム@トイレでの会話 DVD at ch.6:0:38:31〜39:10
l
8th Jurorも無罪の確信は無い / 6th Juror:有罪だったらどーする?
高架鉄道がうるさ過ぎるから、老人証人に階下の騒ぎの声が聞こえたはずがない論争 DVD at ch.7.0:43:00
l
死刑にするには正確な証言でないといけない!
l
9th Jurorの鋭い証人観察――孤独な証人は注目を浴びたかった ch.7.0:44:00〜45:29
公選弁護人がきちっと仕事をしていない DVD at ch.8.0:47-25
l
8th Juror: 弁護士には金も名誉も勝ち目も無く、依頼人を信じて行動していなかった...ch.8.0:47-45
老人証人が本当にドアを開けて凾ェ逃げるのを目撃したか? DVD at ch.9.0:55:10
l
アパートの見取り図 ch9.0:55:10〜55:57
3rd Jurorが死刑に固執して怒る DVD at ch.9.0:58:15〜
l
8th Juror: 事実に基づいて決すべき... サディストだ / 殺してやる / 本気じゃないだろう...。〜59:19
11th Jurorが陪審制度の素晴らしさを演説 DVD at ch.9.1:00:02〜
l
民主主義の素晴らしさ... 無作為に選ばれた陪審員の中立性 〜1:00:59
5th Jurorがナイフの刺し傷の向きの不自然さを立証する DVD at ch.12.1:14:10〜
l
スラム育ちの経験から云って、下手で持つのが自然。
10th Jurorが激怒して偏見的態度を爆発させる DVD at ch.13.1:17:42〜
l
激情した独演状態〜ch.13.1:19:30
l
8th Juror: 偏見を排除するのは難しい。しかし偏見は真実を曇らせる...ch.13.1:20:20〜21:13
殺害現場を目撃した女性証言の信憑性 DVD at ch.14.1:23:42〜
l
眼鏡を外していて夜間に遠目の証言には疑問アリ 〜ch.14.1:28:59
一人有罪に固執する3rd Jurorの最後の抵抗 DVD at ch.15.1:29:17〜
l
息子の写真が映る 遂に無罪に同意する 〜32:34
最後のシーン DVD at ch.15.1:34:28〜
l
8th Jurorと9th Jurorが名前(但given names)を紹介し合う――評議室では名前さえ知らない同士だったことが判明する。何事も無かったかのように、裁判所の入り口の階段を下りて日常生活に戻って行く。激しい雨が上がっている。
II. 陪審員の特徴
Juror number |
外見 |
概要 |
1 (Foreman) |
ポロシャツ+タイ |
高校フットボールのコーチ(Rose at.52, DVD at ch.10.1:06:05)。 |
2 |
白ワイシャツ+ネクタイ+眼鏡 |
小心者的なメガネ男。喉飴―ドロップ―を持っている。 / ナイフの下向き刺し傷の不自然さに気が付く。 |
3 |
目が大きくワイシャツ+タイ |
一人の20歳の息子が居る。16歳の頃に喧嘩になって、息子が親の顔を殴った。過去2年間遭っていない。rotten kidである[と3rd Juror自身が評している]( Rose at 14-15) / 宅急便会社を立ち上げ経営(Rose at.5)。 |
4 |
グレイスーツ+メガネ |
株の仲買人。真面目で神経質そう。/ スラム街の少年に対し犯罪傾向の偏見を有している(Rose at 15)。 / 論理的(Rose at 19)。 ヘンリー・フォンダが良い仕事をしていると評価している。 / 汗をかかない(Rose at.49)。 |
5 |
ウールのダーク系スーツ、細身 |
スラム育ち(Rose at 15)。 / ナイフの使い方も詳しい(Rose at 16)。 |
6 |
開襟シャツ |
労働者(a working man)。/ もし真犯人だったらどーする?という思考(Rose at 28)。 |
7 |
帽子+ストライプの背広 |
ヤンキースの試合に行きたいので、評議を早く切り上げたい(Rose at 5, 7)。 / マーマレードのセールスマン (Rose at 25)。 / 凾フ経歴から偏見を有する(Rose at 15)。 |
8 |
ヘンリー・フォンダ |
建築家(Rose at 25)。 |
9 |
初老で痩せ型で神経質、ワイシャツ+タイ+杖 |
凾フような育ちの若者への偏見を嫌う(Rose at 9)。 / 証人を詳細に観察している。階下の老人証人が嘘を吐いた動機に気付き(Rose at 34-36)、且つ向かいのapt.の婦人が普段は眼鏡を掛けていることに気が付く(Rose at 69)。 |
10 |
メタボ系禿ワイシャツ+柄タイ、濃い眉毛 |
凾フような育ちの若者に対して偏見を有す(Rose at 9)。 / 激情型? (Rose at 12, 16)。 / 工場主? 工場の仕事が多忙ゆえに早く帰りたがっている(Rose at 23)。 |
11 |
口髭、サスペンダー |
移民。/ 民主主義の信望者・理知的? / 秘密投票を尊重し、少数意見も尊重する(Rose at 24, 25)。 / 時計職人(Rose at 26)。 |
12 |
ダークスーツ+チーフ |
広告代理店勤務(Rose at 10, 26)。 |
III. 項目別概要整理
事件の概要
l ニューヨーク市内に於ける16歳のプエルトリコ少年(被告人:凵jによる父親殺害事件。スラム育ちの凾ヘ9歳のときに母親を失い、父親が偽造罪で服役中の一年半の間には里子に出され、酷い16年間を送って来た(Rose at 9, DVD at ch3.0:14:5)。凾ヘ数々の少年犯罪に手を染めて来た。―― 10歳のときに教師に岩を投げてChildren’s Courtに起訴され、14歳のときにReform Schoolに収容された。車を盗み、強盗で逮捕され、ナイフで少年を傷つけようとして2回しょっぴかれて(was picked up)いる。switch knifeの素早い使い手(Rose at 14)。―― 父親は凾ェ9歳の頃からいつも拳で殴っていた(Rose at 14)。
l 殺害前の夜8時頃に害者と凾ヘ親子喧嘩をしていて(Rose at 13)、親が凾2回殴っていて(Rose at 13)或いは2回平手打ちをした後(Rose at 18)、怒った息子は家を外出しているのが目撃されている(Rose at 13)。
l 検察は、親が殴ったことが殺害の動機と主張。
O しかし息子は過去にいつも親から殴られて来たので、殴られることは生活の一部になっていた為に動機としては弱いのではないか?(8th Juror, Rose at.13, DVD at ch.4.0:19:53) ← 2発は大きいので動機になるのでは?(4th Juror, Rose at.14) ← しかし9歳から拳で殴られて来た身にとっては動機たり得ないかも。(Rose at 14) ← 他に動機のある者が居るのか?(See infra 「害者の状況、経歴」.)
l 殺害推定時刻は深夜24時10分頃。
害者(凾フ父親)の状況、経歴
l 胸の刺し傷は下向き。なお凾フ身長は5 feet (152.4 cm)、害者の身長は6 feet 2 [inch] (187.96cm)。
O 害者より低い身長の凾ノよる刺し傷が害者の胸に下向きになっていたのはおかしいのではないか?(Rose at 60) ← しかし可能なことを3rd Jurorがデモンストレーションして示す。しかしswitch knifeの場合は…(See infra 「凶器のナイフの状況」.)
l 模範的市民ではなく一度の投獄経験があり、ギャンブル好きで負け続け、近所のバーで長時間費やし、しばしば女性を巡って殴り合いの喧嘩を起こし、野蛮で、半年以上の定職に就いたことがない(Rose at 29)。
O ムショ仲間か、賭け事の胴元か、殴り倒した相手か、引っ掛けた女性等の誰にでも、殺され得る動機は在り得る(Rose at 29)。
凶器のナイフの状況
l
害者の胸で発見されたswitch-knife[と同型のもの]を殺害された晩に凾ェ購入したことを認めている(Rose at 18)。
l
夜8時に外出した後即座に近所のjunk shopに行き、switch-knifeを購入している(Rose at 19)。 / 購入目的は友人へのプレゼント用と凾ヘ主張(Rose at 21)。
O
父親を殺す凶器に使うつもりで購入したならば、わざわざ事前に友人に見せびらかすはずがないのではないか?(Rose at 22)
l
凾ノ当該switch knife を売ったjunk shopの店員は、当該switch knifeが嘗て在庫になかった珍しいものだと証言(Rose at 19)。
l
夜11時30分から3時[15]分迄の間に当該switch knifeがポケットの穴から落ちたと凾ヘ主張(Rose at 19)。
l
この一見すると特殊な型のナイフは、入手が難しいという意味では特殊なことはなく、...陪審員#8が近所で同じ型のものを入手し、... [See infra「法廷外証拠の同型ナイフに就いて」Rose at 20-21???]
l このswitch-knifeと呼ばれるナイフは、下手(underhanded)で持つものである(Rose at 61)。
l 指紋が付着していなかった(Rose at 19, 38)。
___________.
<法廷外証拠の同型ナイフに就いて>
l
凾フ自宅から3ブロックしか離れていない質屋で8th Jurorが同型のナイフを購入し評議室で披露(Rose at 20-21)。
剋ゥ身の主張・証言、凾フ行動
l 剋ゥ身の主張に拠れば、親に数回平手打ちされた後、夜8時には外出し(Rose at 18)、殺人の時間には映画を観に出掛けていたけれども、観ていた作品を思い出せず(尤も事件後3ヶ月経過した法廷では思い出したがRose at 56)、出演者も思い出せない(Rose at 12)。映画館の誰も凾見掛けた者は居ない(Rose at 12)。
O [父親と喧嘩して]父親から顔を殴られた直後のような当惑する状況下では、[映画の]詳細のようなことを覚えていなくてもおかしくはないのではないか(Rose at 56, DVD at ch.11.1:10:00)。
O そもそも人間は何でも覚えているものではないので、凾ェ覚えていなくても不思議ではなく、覚えていない事実はアリバイが無いことを証明はしていない(Rose at 58)。
l
尤も凾ェ警察の聴取を受けたのは、直後の現場で、父親が未だ台所の床に横たわっている目の前という状況であった。
O
そのような状況下で観た映画の詳細のような情報を冷静に思い出せないのはおかしくないのではないか? (Rose at 56)
l 夜8時45分に、凾ヘ3人の友人のところに行き、9時45分に分かれる迄の1時間に友人達が凾フswitch knifeを見ている(Rose at 19)。
l 夜10時頃に凾ェ帰宅。夜11時30分に外出してオールナイトの映画を見ていて、午前3時[15]分に帰宅して父の死を知ったと凾ヘ主張(Rose at 19)。
l 午前3時頃に帰宅して自宅の廊下で2人の刑事に逮捕された(Rose at 37)。
O 逮捕される蓋然性の高い犯行現場に僅か3時間後に戻るだろうか?(Rose at 37) → 自身が購入したナイフが害者の胸で発見されたらまずいと思ったから戻ったのではないか? 刺した時はパニックっていてそこまで気が回らなかったのであるが(Rose at 38) ← 指紋を拭き取る冷静さを有していたのにパニックっていたというのはおかしいのではないか?(Rose at 38) → 夜明け迄は死体が発見されないと思って凶器を取り戻しに帰ったのではないか?(Rose at 38-39) ← 夫人の叫び声も凾ノ聞こえていたはずならば、戻るだろうか?…(続きは後掲「向かい側アパートの婦人の証言」Rose at 38-39)。
階下の老人の証言
l 殺人現場のちょうど下の階(二階)に住んでいる75歳(Rose at 35)の老人に拠れば、数時間前に凾ニ父親が喧嘩しているような音を聞いた(Rose at 11, 46)。
l ちょうど犯行の時刻の24:10頃に、上の階で大きな争っているような物音を聞き(Rose at 11)、直後に凾ェ「I’m gonna kill you」と言ったのも聞き(Rose at 9, 29)、一秒後に体が倒れる音(Rose at 9, 29)を聞[き、向かいのアパートの婦人の叫び声を聞]き(Rose at 46)、足音が玄関に向かって行くのと(Rose at 42)、ドアが開く音と(Rose at 42)、階段を下る音を聞いたので(Rose at 42)、ベッドに横になっていた証人はベッドから降りて廊下(hall)の見える玄関に向かって走って行ってドアを開けたところ、ちょうど凾ェ階段を駆け下りて家から出て行く所を観た、と証言(Rose at 9, 11, 29, 43)。
l 暑い夏の日だったので窓を開けていたから音が明確に聞こえた(Rose at 29)。法廷で老人は目隠しをしながら5人の声の中から凾フ声を聞き分けた(Rose at 29)。
O 「I’m gonna kill you」と言った時や体が倒れる音が聞こえた時には、向かい側の婦人の証言に拠ればちょうど高架鉄道が通過中だったはずであり、窓を開けていて高架鉄道が通過する際の騒音は酷いものだから(Rose at 32)、その騒音の為に階上の音は聞こえなかったはずではないか? 仮に聞こえたとしても、騒音の為に聞こえた音が凾フものであるとは特定できないはずではないか? (Rose at 33, DVD at ch.7.0:39:50)
O 老人は誰からも認識されない寂しさゆえに、聞いていない声を聞いて凾見たと信じ込んでしまったのではないか? (Rose at 35)
O 凾ヘ頭が良い(bright)人物だから、近所中に聞こえるように「I’m gonna kill you」等と叫ぶであろうか? (Rose at 36, DVD at ch8.0:46:40)
l 体が倒れる音を聞き床に降りて玄関のドアを開けて目撃する迄に要した時間は15秒を越えていない(Rose at 29, ___)。
l 尤も彼は昨年にstrokeを患って片足を引き摺っていた。
O 僅か15秒で、床に降りて玄関ドアを開けることは不可能ではないか?(Rose at 42-__)
O 評議室で実験した結果、42秒も掛かった(Rose at 46)。
O 凾ニ父親が数時間前に喧嘩するのを聞いていたから、犯行時の音(階上で体が倒れて、向かいで夫人が叫んで、足音が階段を走り去る音)だけ聞いて、その音の主が凾ナあったと勘違いしたのではないか?(8th Juror, Rose at 46)
O 「I’m gonna kill you / I’ll kill him」と人が言っても、普通は本意ではないはず(Rose at 35, 47, DVD at ch8.0:46:05)。
向い側アパートの婦人の証言
l ちょうど通りの向かい側のアパートに住む婦人は、凾ニ顔見知りで(Rose at 12)、夜11時にベッドに入ったけれども (Rose at 67)、夜12:10(Rose at 12)に寝付かれず(Rose at 67)窓際のベッドに横たわって居て、窓から高架鉄道の通過中の六両列車の最後の二両の窓越しに(Rose at 12, 30, 33)、アパートの窓を通じて現場の部屋の中を覗き込むと、凾ェナイフを頭上に振り上げて父親の胸に振り下ろして(Rose at 12, 67)下向きに突き刺すところを見たと証言。直後に部屋の明かりが消えているとも証言(Rose at 67)。高架鉄道列車はその時に乗客を乗せておらず車内の灯りも消していた。車内の灯りを消していれば窓越しに先の方が見えることは証明されている(Rose at 12)。
O ナイフを振り下ろして突き刺したのを見たという証言は、[switch knifeの下手持ちの使い方]に反する(Rose at 67)。
l 高架列車が通り過ぎると彼女は叫び声を上げてから警察に通報(Rose at 38-39)。
O 叫び声を聞いたはずの凾ェわざわざ現場に戻って来るだろうか?(Rose at 38) ← パニックに陥った凾ヘ叫び声を聞かなかったかもしれないし、聞いたとしても剋ゥ身の行為と結び付けなかったかもしれない、叫び声が通常生じる近隣の状況だったので(Rose at 39)。↓[以下8th Jurorの見解へ続く]
O 一方では、凾ェ父を刺したかもしれない(“maybe”)し、叫び声を聞かなかったかもしれないし、パニックになって駆け出して3時間後には冷静になってナイフを取り戻す危険を冒したかもしれないけれども、他方ではそうではなかったかもしれない。十分な疑問(doubt)は存在しているのではないか?(Rose at 39, DVD at ch.8.0:50:35)
l 殺害を観た一瞬の後(a split seconds later:一秒の何分の一)に[室内の]明かりが消えた、と証言。
l
法廷に於ける証言の際には鼻の両脇に何かの跡があった。彼女の実年齢は45歳位であるけれども、証言の際には厚化粧をし、髪を染め、真新しい服を着て、35歳位に見えるように精一杯若作りをしていた(Rose at 70)。
O 視力が弱く、且つ現場を見た際には眼鏡を着用しておらずに、良く見えなかった虞アリ(Rose at 72)。