関連ページは、「現代不法行為法理論」の中の「経済学的抑止論」(Economic Deterrence Theory)
Susumu Hirano, Professor of Law, Faculty of Policy Studies, Chuo University (Tokyo, JAPAN); Member of the New York State Bar (The United States of America). Copyright (c) 2014 by Susumu Hirano. All rights reserved. 但し作成者(平野晋)の氏名&出典を明示して使用することは許諾します。 もっとも何時にても作成者の裁量によって許諾を撤回することができます。 当サイトは「法と経済学」の研究および教育用サイトです。
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ジョン・ロールズによる批判 〜公正としての正義、分配に於ける正義、他〜
「規範的法哲学者」(normative legal philosophers)とは…
ドゥオーキンによる批判
「法と経済学」と「シカゴ学派」の歴史
アメリカ法学に於ける学際研究の歴史と、法と経済学とカラブレイジ
「パレート最適」よりも「カルドア・ヒックス効率」の方が「法」の経済的分析に適する理由
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第12回講義 「不法行為“法と経済学”」そのA
前回の積み残しを先ずは以下の通り…
平野『アメリカ不法行為法』infra, at 30. --- 報復・謝罪--- 「損害賠償責任の目的の研究」を参照 → 映画「エリン・ブロコビッチ」も。 復習の代替手段、「土下座」させたい? !(have his enemy “on bended knee”敗北宣言としての屈辱を与えて応報的渇望を満たす)、金銭を奪う等の制裁を課すことによる修復的効果、凾ノ敗訴の烙印を課すことによる充足、均衡の修復、主張する機会(結果を決める過程への参加の機会)を付与されることや、中立的な権威(裁判所)が主張を聞いてた上で慎重に審議してくれる過程が重要(真摯に扱われたい願望の充足)("a day in court")、「謝罪」とは敬意を払うことであり、責任を認め、かつ、良心の呵責・後悔を表明すること…。 / 「効率性」(efficiency)(法と経済学)と「公正さ」(fairness)(倫理哲学)(後掲)
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主な類型は、「故意による不法行為」か、「過失責任」か、「厳格(無過失)責任」か?平野『アメリカ不法行為法』infra, at 66 fig.#4. PL法と医療過誤訴訟。
過失責任主義
【過失責任主義】(「一般不法行為」民法709条)(全ての活動は危険であり、お互い様な社会である故に、過失がある場合にのみ責任=費用転嫁を限定。↓
平野『アメリカ不法行為法』infra, at 66 図表#4, 42図表#2 原則は、一般不法行為=過失責任主義(過失なければ責任なし) イマニュエル・カント的な平等の論理――個人は幸福を自由に求めるけれども、他人の自由をも平等に尊重すべき。∴平等な注意義務を課されるべき。世間は狭いし、活動は危険を必然的に伴うので、注意を払っても生じる危険は互いに受忍すべき。 「賠償の互酬原理」reciprocal principle of recovery)。Id. at 299 (Perryによる「受容された相互作用」accepted interaction), 344-46 (Fletcherによる「賠償の互酬原理」reciprocal principle of recovery)) --- 逆に言えば、社会の構成員は皆、注意を払って行動する義務を負う。問題は何処までの注意を払うべきか?
Id. at 97. 要件は「注意義務」+「違反」+「因果関係」+「損害」=責任。
ちなみに日本でも民法709条「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」
「故意または過失」+「責任能力」+「権利侵害」+「因果関係」+「違法性阻却事由の不存在」+「損害」=責任。過失(注意義務違反)は「予見義務」違反と「結果回避義務」違反...
Id. at 100, 377〜. アメリカでも予見可能性は必須。 / 「ex ante」(事前)の凾フ判断を、「ex post」(事後)に裁判所が判断する → 「あと知恵の偏見」(hindsight bias)のおそれアリ。 / 過失基準=リーズナブル・パースン・スタンダードは、ミスも犯す不完全な人間に対して完璧を求めるから、非常に厳しい基準である。
平野『アメリカ不法行為法』infra, at 66-67 & n.105 (悪い行為、正当化、行為基準). "reasonable person std." 客観基準、予見可能性(See also平野infra, at 121---協調を促進)、コミュニティ・スタンダード、ノン・フィザンンスは原則として無責(Good Samaritan@p.149 n.180.な義務なし←→法と経済学は批判) Id. at 96-105. / ←→ 「エンタープライズ責任」 Id. at 45-46(ナイフで受傷したヒガイシャに対しナイフ・メーカーが責任を負わされるようなもの故におかしい). / 尤も一定の分野は社会保障的制度(公的救済制度)でカバー。 Id. at 48-53 (運用費用が安価・迅速、勝訴しなくても救済される).
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【過失責任主義の続き--具体的な基準の模索】 原則は、一般不法行為(民法709条)=過失責任主義(過失なければ責任なし) ∵世間は狭いし、活動は危険を必然的に伴うので、注意を払っても生じる危険は互いに受忍すべき。 / 要件は「注意義務」+「違反」+「因果関係」+「損害」=責任。平野『アメリカ不法行為法』infra, at 97. ちなみに日本では、「故意または過失」+「責任能力」+「権利侵害」+「因果関係」+「違法性阻却事由の不存在」+「損害」=責任。 / 「リーズナブル・パーソン・スタンダード」 → より具体的な基準を求めて.... → 「制定法違反即過失」(negligence per se)Id. at 109. / 「業界慣行」(custom)Id. at 109, 146(e.g.,専門家責任以外ではsome evidenceに過ぎないので、conclusive evidenceではない)、「過失推定則」(res ipsa loquitur)Id. at 109-10 (倉庫から落ちて来た樽で歩行者が受傷) → エスコラ事件(コカコーラのボトル爆発事件では要件を緩和して適用) / → より明確な行為規範へ: → 「ハンド・フォーミュラ」
「過失責任主義」の続き(具体的な基準の模索と「ハンド・フォーミュラ」)
平野『アメリカ不法行為法』infra, at 101〜 過失責任は酷である。
「リーズナブル・パーソン・スタンダード」 「コミュニティー・スタンダード」 → 要は、社会が求める注意を払う義務。それでは何が社会の求める注意義務なのか? より具体的な基準を求めて ... 「業界慣行」「制定法違反即過失」、そして危険の計量 ↓
平野『アメリカ不法行為法』infra, at 106. 「注意義務」(duty of due care)の範囲・射程が一番重大な争点になって来た。すなわち、何処まで注意義務を払えば免責されるかという限界値が重要。 See also VELJANOVSKI, infra, at 186.
→ 「リーズナブル・パーソン」ならば何処まで注意を払うべきか?
Id. at 106〜 「ハンド・フォーミュラ(ハンド判事の公式)」Id. at 106-07, 266〜(「期待事故費用」と「防止費用」)(Hand Formula: B<PL→negligence), 267-68 & n.154(定義と'47年のCarroll Towing判例)、リスク(PxL)は「期待値」で表す。 / R.ポズナーによる解釈、図表#26の解説 。 / 人類がアルマゲドン対策をしない理由は、「L」が多額であっても「P」が余りにも低いから、結局は「PxL」も低いので、高額すぎる「B」を人類が負担しようということに成らない。
【ハンド・フォーミュラ(ハンド判事の公式)】
平野『アメリカ不法行為法』infra, at 266, 268-69& n.154. 「ハンド・フォーミュラ(ハンド判事の公式)」の定義と'47年のCarroll Towing判例、について。
"liability depends upon whether B is less than L multiplied by P ...."
by Learned Hand, J.
Hand Formula: B<PL→negligence
新しい第三次リステイトメント案にも採用されている。→ 平野『アメリカ不法行為法』infra, at 273.
- 義務違反が生じたか否かの判断に際しては、三つの要素の相互作用が重要。平野『アメリカ不法行為法』infra, at 312. See also VELJANOVSKI, infra, at 188-89.
Bが安価な場合には有責と判断され易い。「The T.J. Hooper」判例(平野infra, at 109) (無線機を設置する費用は安価で、嵐の情報を得て難破を回避できるという効果は絶大); 「Wagon Mound 2」(平野「補追」)判例も(湾内の火災というLが甚大で、Bは比較的安価と評価された為に有責判決)。 / PLが小さい場合には無責と判断され易い。「Bolton v. Stone」判例(平野「補追」) (クリケット場のフェンスを越えて歩行者が受傷 --飛び出す蓋然性(6回/過去30年)も、当たる蓋然性も(過去90年で0件)低いし、フェンスを更に高くしたりクリケット場を移転する費用は高額).
- 平野『アメリカ不法行為法』,infra, at 105-07. 「期待事故費用(expected accident cost)」と「防止・回避費用(prevention costs / accident avoidance costs)」
- Id. at 269-71 & fig.26. Richard A. Posnerによる解釈。「最適な(optimal)」注意レベル(平野at 270)を目指す。
- 不法行為法の目的は、「事故費用+事故防止(回避)費用」の総和を極小化すること。平野『アメリカ不法行為法』,infra, at 218. Guido Calabresi
- 「費用便益分析」(cost-benefit analysis: CBA)(平野infra at 107+ 270's Fig. 26)に影響。 → 「便益」は「PLの減少」として捉えて、「費用」はBと捉える。(回避費用Bを費やして得られるのがPL減少という便益である。)
平野『アメリカ不法行為法』infra, at 288-89. 「危険効用基準」(risk-utility test)のトレードオフな分析・基準が影響。「危険効用基準」とは、行為・活動の効用面が危険面を凌駕しなければ過失であると捉える基準(平野infra, at 107, 288)。 すなわち行為・活動が危険と効用の両面を有していて、相互にトレードオフな関係にあると捉える。 → ∴「ハンド・フォーミュラ」的には、行為・活動が生む「危険」をPLとして捉えて、行為・活動を防止・減少させるBは「効用」の減少であると捉えることも可能。(効用を減らせば危険も減る、効用が増えれば危険も増える)
【ハンド判事の公式 --- B<PLの補足】
- 「ハンド・フォーミュラ」のPLは「期待事故費用(expected accident costs)」という期待値なので、「危険中立」的選好を前提にしている。平野 at 238.
「危険回避」(risk averse)的選好と「危険愛好」(risk preferring)的選好と「危険中立」(risk neutral)的選好 → 平野『アメリカ不法行為法』infra, at 283-85(中立とハンド・フォーミュラ); 238-39 (回避と愛好).
→ 「不均衡基準(disproportionate std.)」の反論 from 倫理哲学的分析 by Keating. Id. at 310. CP>PMではなく、むしろCP>>PM (CP=Cost of Prevention; PM=Probability x Magnitude of injuries) 即ちB<PLではなく寧ろB>>PL。
Id. at 312 (ハンド・フォーミュラが秀逸な2つの理由)と「費用便益分析」(cost-benefit analysis: CBA)/「危険効用基準」(risk-utility test)
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厳格(無過失)責任
平野『アメリカ不法行為法』infra, at 110〜113.
過失を要件とせずに原因と結果のみで責任を課す「厳格(無過失)責任」(strict liability)
「絶対責任」(absolute liability)とは異なる。
【厳格(無過失)責任と、「活動レベル」への働き掛けと、「一方的危険」と、「歪み効果」】平野『アメリカ不法行為法』infra, at 41, 248, 250〜 / 無過失責任に適した一方的危険と、過失責任に適した双方的危険
「厳格(無過失)責任」(「特殊の不法行為」民法714条以下)(strict liability) 平野『アメリカ不法行為法』infra, at 41-42, 110-13. →「注意レベル」(care level)への働き掛けだけでは不十分であって「活動(行動)レベル」(activity level)への働き掛けが必要な場合=「超危険な諸活動(ultra-hazardous activities)」「異常な迄に危険な諸活動(abnormally dangerous activities)」(街中で虎を飼ったり、街中でダイナマイト爆破したり)。 注意を払っても活動自体が望ましくない場合は厳格責任。もっと望ましくない為に活動を一切禁止する場合は、刑事法等も用いた行政規制に。
「注意レベル」(care level)と「活動(行動)レベル」(activity level)に於ける抑止効果 = Id. at 41-42 & fig.#2, 250-53. 「残余事故費用」residual accident costsを誰に負担させるべきか? 「過剰抑止」over-deterrenceによる「歪み効果」distorting effectsの懸念。Id. at 253-54.医療過誤と「歪み効果」 --- 「防衛[的]医療」 (defensive medicine)=必要な活動に対する萎縮効果 Id. at 147.
過失責任が望ましい場合と、厳格責任が望ましい場合の区別 → 「双方的危険」(bilateral risk)(e.g.,設計欠陥(ナイフの危険性の管理))では過失責任、「一方的危険」(unilateral risk)(e.g.,製造上の欠陥(外れ玉コーラ瓶が他原因なく惹き起こす爆発の危険))では厳格責任 Id. at 248-50 (蒸気機関車と隣接農家の耐火性作物のハイポ/双方的な原因という考え方)凾フ活動や効用への「平等」な尊重 Id. at 295-99 (「後の行為者」later actorと「先の行為者」earlier actor).
製造物責任法
平野『アメリカ不法行為法』infra, at 149-53,
定義: 製品の欠陥が損害を惹き起こした場合には、製造業者等が賠償責任を負う。平野『アメリカ不法行為法』infra, at 149.
嘗ては、全て、厳格(無過失)責任であると誤解されていた。 平野 at 157-58. → 「defective condition unreasonably dangerous」な製品の売主は、例え注意を払っていても、有責とされた。 / 平野 at 153-56 (危険責任、等の誤謬分析).「危険(損失)の分散」(risk/loss spread)理論と、「ディープ・ポケット理論」(deep pocket theory) Id. at 219〜20..
エスコラ(コーラ爆発)事件とトレイナー判事の反対意見。
E.g., コーラ瓶の爆発事故。生産工学上一定割合で発生が不可避。受傷者はinnocent & helpless. そのような被害者の損失を一人で負担させるよりも、寧ろ広く浅く製品価格に上乗せして皆で分散して負担すべき。
【「危険の分散」と「ディープ・ポケット理論」への批判】
「危険(損失)の分散」は、「一方的危険」(unilateral risk)には適しているけれども、「双方的危険」(bilateral risk)には不適切。∵モラル・ハザード&逆選択(ファストフード持ち帰り用コーヒー事件) → 損害賠償の累計が多額になって、社会に必要な製品・役務の値段が高騰化したり市場から無くなる虞もある。即ち「殺し過ぎる」(overkilling) → 「歪み効果」(distorting effects). 例えば産婦人科医や小児科医等、そもそもリスクの高い診療科の医師・医療機関は訴訟のリスクも高いから、萎縮医療に繋がる。
製造業者を「保険者」とする制度が機能しない。 平野 at 220.
「矯正的正義」ではなく「分配的正義」になってしまう。 Id.
「deep pocket」、「分配的正義」(distributive justice)対「矯正的正義」(corrective justice)(id. at 292 & n.5)(アリストテレス)、富の配分は立法府と行政府に適しており、矯正的正義こそが司法府に(ビル・ゲーツ氏を轢いた路上生活者が賠償責任を免除されても良いはずは無い!?)。
Id. at 40. 抑止を重視する法と経済学者は、ルールの明確化を求める。 E.g., 製造物責任法上の「欠陥」の定義の明確化を求める筆者。 公法・行政規制で全て支配しない理由は、「自律」(autonomy)の重視。自由(=幸福)の尊重。 → Id. at 42 & 図表#2
【チーペスト・コスト・アヴォイダー:最安価事故回避者】
「cheapest cost avoider(最安価事故回避者)」とは何か?(定義) 平野 at 254.
平野『アメリカ不法行為法』infra, at 217-
- 自動車メーカーが最安価事故回避者の場合の「一方的な危険」のハイポ。 平野 at 221-22. 取引費用が障害になるので歩行者が敗訴すると安価な事故防止(回避)策であるスポンジ・バンパーが採用されない。
- 「双方的危険」を考慮して歩行者が最安価事故回避者の場合のハイポ。 平野 at 222 last para. - 23. 歩行者が敗訴した方が歩道橋を渡るという、「より安価」な事故防止(回避)策が採用されるように奨励される。
- cheapest cost avoiderへの批判と、「the best risk minimizer」の概念。 平野 at 255-66.
【製造物責任=無過失責任と云うステレオタイプな捉え方の誤り】
cheapest cost avoiderが製造業者とは限らないから、無過失責任を課せば善いとは限らない。 平野 at 153-56.
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- 現在では、欠陥を三つに分類(平野 at 157 fig 18 & n.207.)
欠陥分類 | 無過失v.過失 | 欠陥基準 |
「製造上の欠陥」(mfg. defects) | 無過失責任 | 標準逸脱基準(嘗ての消費者期待基準) deviation-from-the-norm test (consumer expectations test) |
「設計上の欠陥」(design defects) | ほぼ過失的 | 危険効用基準→後にRAD (CBA的) risk-utility test reasonable alternative design (cost-benefit analysis) |
「警告懈怠/警告欠陥」(inadequate instructions and warnings / failure to warn) |
ほぼ過失的 | 危険効用基準→RAD (CBA的) |
平野 at 157-80.
- @「製造上の欠陥」(mfg. defects)は無過失のママである。
- ∵「外れ玉」であり(平野 at 158.)
- ∵「一方的危険(unilateral risk)」(既出、平野 at 248等)であり(∵発見困難、平野 at 158-59)、
- ∵利用者による危険回避は期待できない場合であり、
- ∵外れ玉の危険を「管理(control)」するのは多くの場合に製造業者であると捉えられたから(平野 at 158-59)。
- ∴「製造上の欠陥」は無過失責任である「標準逸脱基準(deviation-from-the-norm test)」 平野 at 158 (3d Rest. Sec.2(a)).
- A「設計上の欠陥」(design defects)と、B「警告欠陥/警告懈怠」(inadequate instructions and warnings / failure to warn)はほぼ過失的であると整理。
- ∵「双方的危険(bilateral risk)」(既出、平野 at 248)であり(∵使い方次第=利用者こそが危険を作出している場合が多い、平野 at 164)、
- ∵利用者による危険回避・危険選択を期待。
- ∵危険の多くの「管理(control)」は利用者に委ねられているから。 → 平野 at 18-19 (ホット・コーヒーによる火傷の危険を防止・回避する上で、マクドナルと利用者のどちらがより良い立場に居るか?the best(better) risk minimizer, cheapest cost avoider??.
- リスクの高い者へも賠償をする厳格(無過失)責任制度は、「モラル・ハザード」/「逆選択」 (平野 at 235-38)を生む(∵危険の発生を惹起できてしまえるから)。(∵コーヒー零して3億円?!!)
- 「設計欠陥」と「警告欠陥/警告懈怠」は過失的責任であるRAD(reasonable alternative design) + dual requiremnt 平野 at 162 (design), 172 (warnings).
- 警告過剰(over-warning)、警告汚染(warning pollution)、狼少年効果(crying wolf) ← 統一基準を司法府が要尊重(巨視的・政策的)。 平野 at 179-80.
過失責任主義は産業補助的だとする左傾化思想の盛衰
Id. at 43〜
「EL: エンタープライズ責任」 平野『アメリカ不法行為法』infra, at 44-47.
無過失責任、企業が保険者(insurer)に成って、受傷者が被保険者(insured)。→ 危険(損失)の分散 (risk spreading / loss spreading)
製造物責任の中の「製造上の欠陥」には適した理論。コーラ瓶の爆発事故。生産工学上一定割合で発生が不可避。受傷者はinnocent & helpless. そのような被害者の損失を一人で負担させるよりも、寧ろ広く浅く製品価格に上乗せして皆で分散して負担すべき。
しかし、「設計上の欠陥」(たとえば持ち帰り用コーヒーのレシピ上の温度設定が熱過ぎるという欠陥主張)や「警告欠陥」(たとえば持ち帰り用コーヒーの警告が不十分だったという欠陥主張)には適さない。∵これらの場合は事故発生に於いて受傷者にも落度がある場合もあり、安易な提訴が可能に成るから逆選択やモラル・ハザード(Id. at 235-38)の虞もあり――注意深い善良な多くの消費者が、愚かなπ達に対して「補助金」を支払うことを強いられる――、損害賠償の累計が多額になって、社会に必要な製品・役務の値段が高騰化したり市場から無くなる虞もある。即ち「殺し過ぎる」(overkilling) → 「歪み効果」(distorting effects). 例えば産婦人科医や小児科医等、そもそもリスクの高い診療科の医師・医療機関は訴訟のリスクも高いから、萎縮医療に繋がる。「defensive medicine」
「運用費用」(administrative costs)も高額に掛かり過ぎて、アイスクリームの喩え話(Id. at 226以降)のように原資が消失して非効率。しかも、敗訴すれば救済されない被害者も出てくる。→ 「litigation lottery」 → つまり、広く遍く救済は、社会保障的制度の方が効率的。訴訟は適さない。
そこでニュージーランドでは(Id. at 48-52)、訴訟に代えて、社会保障的に被害者救済を行う「ACC: Accident Compensation Corporation」が設立された。その良さは、訴訟に頼った不法行為による救済の@「運用費用」の無駄を抑えることが出来て、且つAlitigation lotteryな不平等を廃して広く遍く被害者の救済を行える点にある。同国のPalmer首相も、アメリカ型の不法行為訴訟に頼った救済制度は弁護士達を富ませるだけだと批判している。
テキストの以下(含、再掲)も読んでおくこと。
219〜227頁(危険分散の理論、deep pocket theory、cheepest-cost avoider、分配的正義)、
291〜292頁&脚注5(矯正的正義)、
45〜48頁(エンタープライズ責任)、
48〜63頁(社会保障制度)、
109〜110頁(reasonable person std.に代わる具体的な過失基準としての「業界慣行」「制定法違反即過失」)、
追加:110〜123頁(厳格責任)、)
105〜107頁(reasonable person std.に代わる具体的な過失基準たるHand Formula: B<PL)
追加: 41〜42頁、248〜250頁〜(蒸気機関車と隣接農家のハイポ、一方的危険/予防、双方的危険/予防、活動レベル、注意レベル)、
266〜273頁(Hand Formulaの続き)
追加147頁、253〜254頁(過剰抑止による歪み効果)、
285〜290頁(Hand Formulaと危険効用基準)、
追加:295〜299頁(「先の行為者」と「後の行為者」)、
追加: 149〜180頁、220頁(製造物責任、危険分散理論の不適切な双方的危険、
追加: 153〜156頁、217頁〜、221〜223頁、254〜266頁、(cheapest-cost avoider再掲、best-risk
minimizer)。
See平野晋『アメリカ不法行為法---主要概念と学際法理』342-44頁(中央大学出版部、2006年)の第二部、第II章.
「法と経済学」および「批判的法学研究」(CLS: critical legal studies)との比較に於いて、第三番目の法の原理的な学派としてのジョン・ロールズのことを、倫理哲学的に不法行為法を分析する指導的学者のGeorge P. Fletcherは以下の論考に於いて次の様に指摘しています。
出典: George P. Fletcher, Why Kant, 87 COLUM. L. REV. 421 (1987).
- 非功利主義者的な諸価値(nonutilitarian values)に法の原理を置こうと試みる第三のグループは、「規範的法哲学者」(normative legal philosophers)と呼ばれる。彼等は以下の二つの前提に立っている。@効用と効率を凌駕する「権利」を個人が有していること。および、A規範を構築することによって倫理的生活と法的生活を形成することが可能であること。
- 以上の前提に立つ中心的な著作は、JOHN RAWLS, A THEORY OF JUSTICE (1971)である。
- ところでロールズの「原初状態」の方法(Rawls' method of the original position)は、一方当事者が他方当事者を不適切に侵害乃至加害したか否かという典型的な民事法律紛争を解決する為のルールを余り教えてくれない。何故なら原初状態に於いては、カガイシャとヒガイシャの双方を満足させるようなルールを採用する余地など存在しないからである([T]here is no way in the original position to adopt a rule that would be satisfactory to both transgressor and victim.)。
Fletcher, Why Kant, supra, at 428-29.
有名な批判は、ドゥオーキンの以下の論文です。
Ronald M. Dworkin, Is Wealth a Value?, 9 J. LEGAL STUD. 191 (1980).
「法と経済学」は、社会に於ける富の極大化を善として、それ自体が目的化しているようです。
しかし、富の極大化自体が何故、善なのでしょうか?
法が本来目指すべきは、「福祉の極大化」(welfare)であるべきです。
「法と経済学」という比較的新しい学際的学問分野の出現に於いては、いわゆる「シカゴ学派」(Chicago School)がその勃興に貢献したという指摘を、しばしば目にします。
それでは一体、その法と経済学のシカゴ学派というものはどのように出現したのでしょうか?その歴史を簡潔に示すものとして、以下の論考の中から紹介しておきましょう。
出典: Minda, James Boyd White's Improvisations of Law As Literature, infra, at 157, 168-170.
アメリカでは古くから学際的に法律学を研究していた点を、倫理哲学的に不法行為法を分析する指導的学者のGeorge P. Fletcherが、以下の論考に於いて次の様に指摘しています。
出典: George P. Fletcher, Why Kant, 87 COLUM. L. REV. 421 (1987).
(n.17)Calabresi, Some Thoughts on Risk Distribution and the Law of Torts, 70 YALE L. J. 499 (1961).
(n.18) K. LLEWELLYN & E.A. HOEBEL, THE CHEYENNE WAY (1941).
この点についても、前掲George P. Fletcherが、以下の論考に於いて次の様に指摘しています。
出典: George P. Fletcher, Why Kant, 87 COLUM. L. REV. 421 (1987).
*****************************************************************************************************************************
"[E]very lawyer ought to seek an understanding
of economics" because [w]e learn that
for everything we have to give up something
else, and we are taught to set the advantage
we gain against the other advantage we lose,
and to know what we are doing when we elect.
*****************************************************************************************************************************
Oliver W. Holmes, The Path of the Law, 10 HARV. L. REV. 457, 474 (1897) cited in
Stephen G. Gilles, The Invisible Hand Formula, 80 VA. L. REV. 1015, 1042 (1994).
【未校閲版】without proof