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Susumu Hirano, Professor of Law, Faculty of Policy Studies, Chuo University (Tokyo, JAPAN); Member of the New York State Bar (The United States of America). Copyright (c) 2014 by Susumu Hirano. All rights reserved. 但し作成者(平野晋)の氏名&出典を明示して使用することは許諾します。 もっとも何時にても作成者の裁量によって許諾を撤回することができます。 当サイトは「法と経済学」の研究および教育用サイトです。
【未校閲版】without proofreading
ジョン・ロールズによる批判 ~公正としての正義、分配に於ける正義、他~
「規範的法哲学者」(normative legal philosophers)とは…
ドゥオーキンによる批判
「法と経済学」と「シカゴ学派」の歴史
アメリカ法学に於ける学際研究の歴史と、法と経済学とカラブレイジ
「パレート最適」よりも「カルドア・ヒックス効率」の方が「法」の経済的分析に適する理由
【未校閲版】without proof
「総論」の続き(パレート最適、カルドア・ヒックス効率、効率性対衡平性、等)
以下、拙書 『アメリカ不法行為法』at 215頁以降(第二部、第I章、第一節以下参照)。
「価格理論」(price theory) --- 価格とか収入等の制約下に於ける人々の「選択」を分析する。その核心は「稀少性」と「選択」!! VELJANOVSKI, infra, at 19.
「便益」や「選好」を「支払意思額」によって定量化 ↓
「max. WTP(*) minus sum paid」=consumers' surplus(*2) (benefits)」
VELJANOVSKI, infra, at 24.
(*1)「WTP」=willingness to pay:支払意思額=買値"buying price"「余剰」(surplus)とは、総満足(総便益)からそれに必要な総費用を差し引いた額。 See奥野『ミクロ経済学入門』 infra, at 32.
参考:『アメリカ不法行為法』at 438以降、(特にp.443). なお「フォード・ピント事件の真相」も参照。ピントの燃料タンク図面はコッコをクリック。
(*2)
資源が「稀少」であるという前提 ∵資源が稀少でなければ「選択」も不要になるから。VELJANOVSKI, infra, at 19. / ∴法と経済学は、資源の配分と選択決定を重視する!! VELJANOVSKI, infra, at 27.
→ E.g.,「TOEFL」の試験勉強に於いて、週10時間(2 hrs /day x 5 days a week)の勉強時間を、「文法」に配分するか、「リスニング」に配分するか、どちらが効率的か???
→ E.g., オスカー・ワイルド著『幸福な王子』からのメタファー 『アメリカ不法行為法』at 10-13.
資源が稀少だと、「費用」と「便益」が常に関係して来る。 VELJANOVSKI, infra, at 24. 「費用対効果」(cost performance)が重要になるからである。 CBA: cost-benefit analysis
資源が、最も高い価値を置く者に配分される事を目指す!! VELJANOVSKI, infra, at 27.
法と経済学で重視される三要素は、以下。 COOTER & ULEN, infra, at 15-17.
①「極大化」"maximization"(前掲参照)
②「均衡」"equilibrium"(前掲参照)
③「効率性」"efficiency"
「極大化」等の続き
「功利主義」(utilitarianism)の父=Jeremy Bentham (1748-1832). 法と経済学の父とも呼ばれる。
「the greatest amount of happiness for the greatest number of people」な社会を構築すべし、と説く。
すなわち、社会は効用を極大化すべし、という意。
See WITTMAN, ECONOMIC FOUNDATIONS OF LAW AND ORGANIZATION, infra, at 14.
「効率性」
"efficiency"には多様な定義が存在。たとえば生産に於ける効率性の場合は、同じ費用でもはやこれ以上の生産が不可能な状態。 See COOTER & ULEN, infra, at 15. 他にも以下の理論がある。Id. at 16-17.
(以下における「効率性」は、稀少資源の最適な配分に於ける効率性の文脈で用いられる。)
「パレート最適(効率)」"Pareto Optimality"(又はPareto OptimumやPareto Efficiency) Id. at 69; VELJANOVSKI, infra, at 32; 『アメリカ不法行為法』at 227.
参考:パレート最適は以下の三つの倫理的前提に基づいている。VELJANOVSKI, infra, at 32.
1.個人は自己の福祉の最適な判断者である。他人の福祉を誰一人として減少させることなく少なくとも一人の福祉を向上させられる変化は社会の福祉を向上させる(此れこそがパレート最適)
2.社会の福祉は、社会を構成する個人の福祉如何に懸かっている。
3.
「better off」(良化) v. 「worse off」(悪化)
パレート最適が政策として使い難い理由は、どんなに小さな政策変更でさえも少なくとも一人の利益を損ねる蓋然性は高いからである。VELJANOVSKI, infra, at 32. 従って如何にnet gainが向上する政策でさえも採用されなくなってしまう。Id.
現実の広い世界に於いては、全員を同定して全員をworse offさせない施策は不可能。 たとえば、環境保全の為にレンガ工場の生産量を減らさせるという政策は、レンガの値段が上昇するからレンガを購入して建築をしようと望んでいる多くの消費者の利益に反してしまう。[つまりレンガ消費者がworse offするからといって、常に環境施策が採れないというのでは奇異である。] WITTMAN, ECONOMIC FOUNDATIONS OF LAW AND ORGANIZATION, infra, at 22.
「パレート最適」は拒否権を付与してしまい「パイ」(pie)が広がらない。→「アリとキリギリス」のジョーク(アメリカでは、キリギリスがバイオリンの腕を見出されて大金持ちに。ソ連版では両者共に餓死に至る! 日本[平野版]では、アリが過労死してキリギリスも餓死!!)
「パレート最適」な状態ならば、法は不要。 See George P. Fletcher, Why Kant, infra, at 425.
「カルドア・ヒックス効率」"Kalldor-Hicks efficiency" (「可能性・潜在的パレート最適」"potential Pareto improvement"とも言う) 平野 『アメリカ不法行為法』, infra, at 227-29. 更には、「Kalldor-Hicks compensation test」とも言う。WITTMAN, ECONOMIC FOUNDATIONS OF LAW AND ORGANIZATION, infra, at 22.
「費用便益分析」(cost-benefit analysis)と同じ。VELJANOVSKI, infra, at 33 (allocative efficiencyとも云う). ∵便益が費用よりも凌駕すれば、その活動を採用すべきとなるから。平野 『アメリカ不法行為法』, infra, at 229; WITTMAN, ECONOMIC FOUNDATIONS OF LAW AND ORGANIZATION, infra, at 27; VELJANOVSKI, infra, at 33 (其の政策を採る事で生じる如何なるlossesよりもgainsが上回れば其の政策を採用すべきとする).
「冨の分配」(wealth distribution)を「効率」(efficiency)から切り離したものである!! VELJANOVSKI, infra, at 33. (平野)∵「パイ」が広がってから、分配を考えれば良いという前提だから。
カルドア・ヒックス効率がパレート最適よりも望ましい例↓
前 | ダム建設費用の分担 | ダムからの収益の分配 | 後 | ➡ | Re-distribution Tax & Nat'l Budget |
Post- re-distribution |
|
Dean M. | $65 | $0 | $40 | $105 | ➡ | -$35 | $70 |
Prof. H. | $35 | $30 | $0 | $5 | ➡ | +$35 | $40 |
total | $100 | $30 | $40 | $110 | ➡ | $0 | $110 |
学部長Dean M.の年収が$65で 一教授Prof. H.の年収が$35という二人の世界の総和は$100に於いて、収益が$40/年間のダムを構築するための費用が$30/年間であれば、ダムの純利益=$10 ($40-$30)という「余剰」(*)が追加されて、二人の総和が現状の$100から$110に増えるので、効用が高まり、善である。
[復習] (*)「余剰」(surplus)とは、総満足(総便益)からそれに必要な総費用を差し引いた額。 See奥野『ミクロ経済学入門』 infra, at 32. なお「consumer's surplus」については前掲のWTP(Willing-to-Pay:支払意思額)の説明参照。
しかし、ダム建設の費用$30を全て一教授が拠出せねばならず、かつ、ダムの収益が全て学部長Dean M.に入るとなると、たとえ総和が増えても、一教授Prof. H.の年収が$5で学部長Dean M.は$105となって、不公平。
「パレート最適」ではない。しかし「可能性パレート最適」(=カルドア・ヒックス効率)の可能性アリ。
尤も分配を考える際に、無駄が生じないような分配が望ましい。すなわち年収に対する[累進]課税である。
POLINSKY, infra, at 7-10.
「効率性」は、「富の分配の公平性」とは必ずしも一致しない。↓
無駄のある分配方法とは、たとえば課税ではなく、弁護士を用いた裁判により財産権を決する方法。 熱い砂漠で、Aさんの穴にあるアイスクリームが沢山あり、Bさんの穴には何もなかった場合に、不公平だからといってAさんの穴からアイスをすくい上げてBさんの穴へ適量を移動させるように命じると、途中でアイスが散逸して不効率な分配になってしまう。
『アメリカ不法行為法』at 226-27; クーター&ユーレン, infra, at 195. / ↑は、法と経済学が、とりあえずは私法の在り方に於いては「分配」を無視する理由。
「効用」はパイを極大化させ、「衡平」はその切り分けにこだわる。
「efficiency/allocation」 v. 「equity/distribution」 Id. at 224. --- 「まずはパイを大きくし、次にその切り分け方を検討する。」 『アメリカ不法行為法』at 217.
[平野] 法と経済学では、とりあえず、各人への分配の公正さやconventionalな法的倫理正義観は無視する。See, e.g., WITTMAN, ECONOMIC FOUNDATIONS OF LAW AND ORGANIZATION, infra, at 86 (後掲「コースの定理」で紹介するように、カガイシャが敗訴すべきとfairnessから考える法曹に対して、コースは「効率性」(efficiency)を指導原理としたと指摘).
「景気上昇」 v. 「格差社会」= 「パイを広げること」v.「パイを切り分けること」
lawyer joke --- 「エンジニアはパイを拡大し、銀行家と○○○はパイを切り分ける。」
法と経済学が、とりあえずは私法の在り方に於いては「分配」(distribution)を無視する更なる理由は、↓
私法の在り方に於いて如何に分配的正義(*)を実現すべきかの理論が、未だコンセンサスに至っていない。
例えば、貧乏人の酒酔い運転手が富裕者の自動車にぶつかった場合に貧者を無責とするルールにすることは、富の再分配の手段として如何にも奇異である。
WITTMAN, ECONOMIC FOUNDATIONS OF LAW AND ORGANIZATION, infra, at 18.
(*)分配的正義と矯正的正義については、『アメリカ不法行為法』at 292 n.5参照。
____________.
「効率性」を重視する法と経済学に対し、「公平」(equality)や「公正」(fairness)という正義論(justice)も重要。
"Equal・ Justice ・ under ・ Law"
"We are all equal. But some are more equal."
See『アメリカ不法行為法』at 292 n.5(分配的正義/アリストテレス『ニコマコス倫理学』), 315(コミュニタリアニズム・分配), 342(ロールズ)
特にp.292 n.5(分配的正義と矯正的正義)は読んでおくこと。
参考:「富(所得)の(再)分配」"wealth distribution" 所得配分の公平性。 倫理的には「コミュニタリアニズム」や「分配」や「分配的正義」や「ジョン・ロールズの正義の第一原理:平等な自由の原理」
予習範囲: 『アメリカ不法行為法』at 217(市場とは?); 229-39(市場の失敗、共有地の悲劇・迷惑メール対策、等).
See平野晋『アメリカ不法行為法---主要概念と学際法理』342-44頁(中央大学出版部、2006年)の第二部、第II章.
「法と経済学」および「批判的法学研究」(CLS: critical legal studies)との比較に於いて、第三番目の法の原理的な学派としてのジョン・ロールズのことを、倫理哲学的に不法行為法を分析する指導的学者のGeorge P. Fletcherは以下の論考に於いて次の様に指摘しています。
出典: George P. Fletcher, Why Kant, 87 COLUM. L. REV. 421 (1987).
- 非功利主義者的な諸価値(nonutilitarian values)に法の原理を置こうと試みる第三のグループは、「規範的法哲学者」(normative legal philosophers)と呼ばれる。彼等は以下の二つの前提に立っている。①効用と効率を凌駕する「権利」を個人が有していること。および、②規範を構築することによって倫理的生活と法的生活を形成することが可能であること。
- 以上の前提に立つ中心的な著作は、JOHN RAWLS, A THEORY OF JUSTICE (1971)である。
- ところでロールズの「原初状態」の方法(Rawls' method of the original position)は、一方当事者が他方当事者を不適切に侵害乃至加害したか否かという典型的な民事法律紛争を解決する為のルールを余り教えてくれない。何故なら原初状態に於いては、カガイシャとヒガイシャの双方を満足させるようなルールを採用する余地など存在しないからである([T]here is no way in the original position to adopt a rule that would be satisfactory to both transgressor and victim.)。
Fletcher, Why Kant, supra, at 428-29.
有名な批判は、ドゥオーキンの以下の論文です。
Ronald M. Dworkin, Is Wealth a Value?, 9 J. LEGAL STUD. 191 (1980).
「法と経済学」は、社会に於ける富の極大化を善として、それ自体が目的化しているようです。
しかし、富の極大化自体が何故、善なのでしょうか?
法が本来目指すべきは、「福祉の極大化」(welfare)であるべきです。
「法と経済学」という比較的新しい学際的学問分野の出現に於いては、いわゆる「シカゴ学派」(Chicago School)がその勃興に貢献したという指摘を、しばしば目にします。
それでは一体、その法と経済学のシカゴ学派というものはどのように出現したのでしょうか?その歴史を簡潔に示すものとして、以下の論考の中から紹介しておきましょう。
出典: Minda, James Boyd White's Improvisations of Law As Literature, infra, at 157, 168-170.
アメリカでは古くから学際的に法律学を研究していた点を、倫理哲学的に不法行為法を分析する指導的学者のGeorge P. Fletcherが、以下の論考に於いて次の様に指摘しています。
出典: George P. Fletcher, Why Kant, 87 COLUM. L. REV. 421 (1987).
(n.17)Calabresi, Some Thoughts on Risk Distribution and the Law of Torts, 70 YALE L. J. 499 (1961).
(n.18) K. LLEWELLYN & E.A. HOEBEL, THE CHEYENNE WAY (1941).
この点についても、前掲George P. Fletcherが、以下の論考に於いて次の様に指摘しています。
出典: George P. Fletcher, Why Kant, 87 COLUM. L. REV. 421 (1987).
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"[E]very lawyer ought to seek an understanding
of economics" because [w]e learn that
for everything we have to give up something
else, and we are taught to set the advantage
we gain against the other advantage we lose,
and to know what we are doing when we elect.
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Oliver W. Holmes, The Path of the Law, 10 HARV. L. REV. 457, 474 (1897) cited in
Stephen G. Gilles, The Invisible Hand Formula, 80 VA. L. REV. 1015, 1042 (1994).
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