「法と経済学」
***第十三回***
Law + Economics
中央大学 国際情報学部 教授 & 学部長
博士(中央大学・総合政策)、米国弁護士(NY州)
平野 晋
関連ページは、「現代不法行為法理論」の中の「経済学的抑止論」(Economic Deterrence Theory)
Susumu Hirano, Professor of Law, Faculty of Policy Studies,
Chuo University (Tokyo, JAPAN); Member of the New York State Bar (The United
States of America). Copyright (c) 2014 by Susumu Hirano. All rights reserved. 但し作成者(平野晋)の氏名&出典を明示して使用することは許諾します。 もっとも何時にても作成者の裁量によって許諾を撤回することができます。 当サイトは「法と経済学」の研究および教育用サイトです。
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主要参考・引用文献
関連情報
「規範的法哲学者」(normative legal philosophers)とは…
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不法行為「法と経済学」そのB
前回(第12回)の続き。
テキスト38頁〜 抑止と賠償、他
215頁〜 法と経済学 / 抑止を重視、誘因、事前的(ex ante)、道具理論(instrumentalism)、稀少資源、効率性、無駄(waste)の排除、Calabresi: 「事故費用+事故防止費用」の極小化、最安価事故回避者(cheapest-cost avoider)こそ有責に、他
220頁〜 矯正的正義と分配的正義(292頁脚注5)
224頁〜227頁 効率的配分と分配的正義、アイスクリームのメタファ、
238頁〜 危険回避(averse / aversion)・中立(neutral)・愛好(preferring)
他
以上、復習。
「法と行動経済学(認知心理学)」と、契約法と、総括
法と行動経済学(認知心理学)
平野『アメリカ不法行為法』infra, at 348ページ以下。
「法と認知心理学=@/ 法と行動経済学」のページも参照。
「限合理性定」(bounded rationality)(352-53) ⇔ 「合理的選択理論」(352 n.10)
- 携帯電話の「2年縛り」の例: 担当教授が主査代理を務める昨日の総務省の研究会(次行)の報告書の例(NHKニュース写真の下)
「蓋然性無視」(probability neglect)とは、…。平野 at 282; 351 n.7; 9 n.24 (ホット・コーヒー火傷の期待事故費用).
「入手容易性ヒューリスティック」(availability heuristics)とは、…。平野 at 363.
「あと知恵の偏見」(hindsight bias)とは、…。 ← 発生してしまった出来事によって世界観が修正されてしまい、その「投錨」が調整できない。 …。平野 at 370.
「投錨と調整」(anchoring and adjustment)とは、…。平野 at 367.
「帰属錯誤」(attribute errors)/「観察者効果」(observer effectsとは、…。平野 at 401-02.
契約法(contracts)と経済学
- 「契約」とは、法的拘束力を意図した「約束」のこと。
- 「promisoreの将来の行為を制限」 ∵「制約の費用よりも大きな利益が期待される」から。 クーター&ユーレン, infra, at 207.
- 二つ[三つ?]の基本問題 クーター&ユーレン, infra, at 205, 208.
- enforceability: どのような約束が強制されるべき(enforceable)か?
- gap(未決事項) & contingency(偶発事象): 契約で予期しなかったり、契約書上で取り決めていない事象発生の損失を、誰に負担させるべきか? (e.g., 危険負担)
- remedies: 強制可能な約束が違反された場合、どのような救済方法が認められるべきか?
本講座では時間の制限上、「enforceability」と「gap & contingency」についてのみ触れる。
「encorceability」について
- 法と経済学的には、"契約"を、合理的選択(rational choice)(平野『アメリカ不法行為法』, infra, at 349, 352)という目的達成の為の「道具」(平野, id. at 216.)と捉える。 クーター&ユーレン, infra, at 206.
- 逆に言えば、合理的選択という目的達成に反する契約は、法が履行を強制・救済すべきではない。
COOTER & ULEN, infra, at 217-25.
- 合理的ではない場合とは、たとえば当事者が合理的ではない場合。→ e.g.,未成年(∵未熟ゆえに合理的選択を選好に沿って順序付け出来ない)や無能力(成年被後見人)。
- 更に合理的ではない場合とは、たとえば情報の非対称性(不完全情報)な場合(平野, id. at 233-34 & n.70, 328. )。→ e.g., 詐欺・虚偽表示、錯誤、重要事項の非開示、商品性の黙示の保証(implied warranty for
merchantability = "fit for ordinary
purpose")。 / 当事者双方共に誤解している場合もある。↓ / 合理的選択が不可能な場合もある。e.g., 強迫。
- → 「不完全契約」(imperfect contracts) →「市場(平野, id. at 217)の失敗」(平野, id. at 229)に類似した「契約の失敗」。 クータ→ 前掲各種「強行規定」(mandatory rules=regulations)によって治癒。クーター&ユーレン, infra, at 230-32.
- → 「完全契約」(perfect contract)とは、市場が失敗していない為に強行法規による介入が不要な契約。取引費用が廉価で、かつ当事者が合理人であれば、完全競争市場に近付く取引をしてくれるから、裁判所は単に契約書通りの執行をすれば良い。 See COOTER & ULEN, infra, at 217.
「contingency」(偶発事象)について
- gap-filling(含、「任意規定」(default rules / default terms)): 裁判所は契約書上の「抜け」を埋めて、取引を成立させる。
- ∵現実世界に於いては取引費用がゼロではないので、当事者にとって事前に合理する取引費用の方が、予想される期待損失費用よりも高額になると予想されるような偶発事象は、放置しておくのが合理的。
- [裁判所が「抜け」を埋める際には効率性(余剰を生むこと)が指導原理となるべき。=効率的な内容の約定で埋めるべき。See COOTER & ULEN, infra, at 224.] → 将来の同じ立場の者達に対して如何に行動すべきかの指針となる。→ [規範が明確化されて]取引合意の障害が除去される。→ 「規範的コースの定理」。
- 危険負担(risk of loss)。e.g., 売主と買主が家屋の売買契約成立後、引渡前に、雷で消失。どちらが損失を負担すべきか?法と経済学的には、防止費用が安価な当事者にこそ負担させるべき。→ 付保する上で安価なのは売主か、買主か? 防止策(避雷針設置等)を効率的に行えるのはどちらか?
See平野晋『アメリカ不法行為法---主要概念と学際法理』342-44頁(中央大学出版部、2006年)の第二部、第II章.
「規範的法哲学者」(normative legal philosophers)とは…
「法と経済学」および「批判的法学研究」(CLS: critical legal studies)との比較に於いて、第三番目の法の原理的な学派としてのジョン・ロールズのことを、倫理哲学的に不法行為法を分析する指導的学者のGeorge P. Fletcherは以下の論考に於いて次の様に指摘しています。
出典: George P. Fletcher, Why Kant, 87 COLUM. L. REV. 421 (1987).
- 非功利主義者的な諸価値(nonutilitarian values)に法の原理を置こうと試みる第三のグループは、「規範的法哲学者」(normative legal philosophers)と呼ばれる。彼等は以下の二つの前提に立っている。@効用と効率を凌駕する「権利」を個人が有していること。および、A規範を構築することによって倫理的生活と法的生活を形成することが可能であること。
- 以上の前提に立つ中心的な著作は、JOHN RAWLS, A THEORY OF JUSTICE (1971)である。
- ところでロールズの「原初状態」の方法(Rawls' method of the original position)は、一方当事者が他方当事者を不適切に侵害乃至加害したか否かという典型的な民事法律紛争を解決する為のルールを余り教えてくれない。何故なら原初状態に於いては、カガイシャとヒガイシャの双方を満足させるようなルールを採用する余地など存在しないからである([T]here is no way in the original position
to adopt a rule that would be satisfactory
to both transgressor and victim.)。
Fletcher, Why Kant, supra, at 428-29.
有名な批判は、ドゥオーキンの以下の論文です。
Ronald M. Dworkin, Is Wealth a Value?, 9 J. LEGAL STUD. 191 (1980).
「法と経済学」は、社会に於ける富の極大化を善として、それ自体が目的化しているようです。
しかし、富の極大化自体が何故、善なのでしょうか?
法が本来目指すべきは、「福祉の極大化」(welfare)であるべきです。
「法と経済学」という比較的新しい学際的学問分野の出現に於いては、いわゆる「シカゴ学派」(Chicago School)がその勃興に貢献したという指摘を、しばしば目にします。
それでは一体、その法と経済学のシカゴ学派というものはどのように出現したのでしょうか?その歴史を簡潔に示すものとして、以下の論考の中から紹介しておきましょう。
出典: Minda, James Boyd White's Improvisations of Law
As Literature, infra, at 157, 168-170.
- シカゴ大学ロースクールに於いて、最初の経済学者として招聘されたのは、Henry
Simonsであった。それは1939年のことである。彼は1945年には終身雇用(tenure)の身分を得ている。 Minda, supra at 168-69.
- しかし法と経済学ムーブメントの創設に於いて最も責任のある人は、Aaron
Directorである。彼をシカゴ大学の経済学部からロースクールに招聘したのは、Legal
Process Theoryを『AN INTRODUCTION TO LEGAL
REASONING』にて著して有名なEdward Leviであった。Leviは「独禁法」(antitrust)科目をDirectorと合同講義したのである。Leviが独禁法の法律面を週4回講義した後の5回目の講義をDirectorがLeviの法律面の講義をreviewする[ということは5単位だったのかも]、という形式を採ったという伝説(Folklore
at Chicago)が残っている。 Minda, supra at 169.
- 1970年代に入るとミクロ経済学を広範囲な法律問題に広げようとする新たな経済学的分析(a
"new" form of economic analysis
of law)が登場する。それは、1964年にシカゴ大学経済学部に参加したイギリスの経済学者ロナルド・コース-- 取引費用(transaction costs)の性格を論じたコースの定理(Coase
theorem) --の影響を受けたものだった。 Minda, supra at 169.
- シカゴ大学ロースクールに於ける法と経済学の第二世代(the
second generation)は、コースの分析を法律科目に深く浸透させる努力をした。その代表者はリチャードA.ポズナーであり、経済学の教育を受けた同僚ウイリアム・ランデスと伴に、法律上のあらゆる問題を経済学的に分析できると主導したのである。1972年に出版したテキストブック『ECONOMIC
ANALYSIS OF LAW』は、法と経済学ムーブメントの聖典(the
bible for law and economics movement)になったのである。 Minda, supra at 169-70.
- シカゴ学派("Chicago School")は、法律とは効率性である(law
is efficient)、基本的な法律の性格は経済学から演繹することが可能である(it
was possible to deduce the basic characteristics
of law from economics)、という概念を受容するようになったのである。 Minda, supra at 170.
アメリカ法学に於ける学際研究の歴史と、「法と経済学」とカラブレイジ(Calabreisi)
アメリカでは古くから学際的に法律学を研究していた点を、倫理哲学的に不法行為法を分析する指導的学者のGeorge P. Fletcherが、以下の論考に於いて次の様に指摘しています。
出典: George P. Fletcher, Why Kant, 87 COLUM. L. REV. 421 (1987).
- カラブレイジは、後に「法と経済学」と呼ばれるようになる分野の主要な論文(n.17)を書いている。その一世代前には、LlewellynがCheyenne Indians(シャイアン族)と共に暮らして彼らの法を研究していた(n.18)。ポスナーが主張するようにおそらくハーヴァード大学では余り無かったのだろうけれども、しかし、イェール大やシカゴ大やUCLAバークレー大に於いては、法律学者の見本であると現在でも言われている熱意とオープン・マインドを伴って隣接学問分野に接近していたのである。 Id. at 423.
(n.17)Calabresi, Some Thoughts on Risk Distribution and the
Law of Torts, 70 YALE L. J. 499 (1961).
(n.18) K. LLEWELLYN & E.A. HOEBEL, THE CHEYENNE
WAY (1941).
この点についても、前掲George P. Fletcherが、以下の論考に於いて次の様に指摘しています。
出典: George P. Fletcher, Why Kant, 87 COLUM. L. REV. 421 (1987).
- 「パレート最適」は、誰かが「悪化」(worse off)する場合の法による介入の必要性を検討しない。しかしそのような場合にこそ正しく法が必要になるのである。そのように法が不要な「パレート最適」に比べて、「カルドア・ヒックス効率」の方は、一方当事者のために他方当事者に犠牲を強いる法の介入を許容するのである。 Id. at 425.
- Stephan Breiyer, The Uneasy Case for Copyrights: A Study of
Copyright in Books, Photocopies, and Computer
Programs, 84 HARV. L. REV. 281 (1970).
- HENRY N BUTLER & CHRISTOPHER R. DRAHOZAL,
ECONOMIC ANALYSIS FOR LAWYERS (2d ed. 2006).
- ROBERT COOTER & THOMAS ULEN, LAW AND
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- ロバート・D.クーター&トーマス・S.ユーレン(太田勝造訳) 『法と経済学(新版 )』(平成9年).
- Harold Demsetz, Toward a Theory of Property Rights, 57 AM. ECON. REV. 347 (1967).
- Ronald M. Dworkin, Is Wealth a Value?, 9 J. LEGAL STUD. 191 (1980).
- JESSE DUKEMINIER & JAMES E. KRIER, PROPERTY
35 (2d ed., 1988).
- George P. Fletcher, Why Kant, 87 COLUM. L. REV. 421 (1987).
- Garrett Hardin, The Tragedy of the Commons, 162 SCIENCE 1243 (1968).
- Michael A. Heller, The Tragedy of the Anticommons: Property
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- Elizabeth Hofman & Matther L. Spitzer,
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- Jacob Jacoby, Is It Rational to Assume Consumer Rationality?
Some Consumer Psychological Perspectives
on Rational Choice Theory, 6 ROGER WILLIAMS U. L. REV. 81 (2000).
- Daniel Kahneman & Amos Tverski, Choices, Values, and Frames, 39 AM. PSYCHOLOGIST 341 (1984).
- 小林秀之&神田秀樹 『「法と経済学」入門』(弘文堂、昭和61年).
- JEFFREAY L. HARRISON, LAW AND ECONOMICS IN
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- 林田清明 『<法と経済学>の法理論』(北海道大学図書刊行会、1996年).
- 樋口範雄 『アメリカ契約法(アメリカ法ベーシックス)』(弘文堂、平成6年).
- 平野 晋 『アメリカ不法行為法-主要概念と学際法理』(中央大学出版部、2006年).
- 平野 晋 「迷惑メール問題と米国に於ける分析」『日本データ通信』第127号53〜86頁(2002).
- 細田衛士&横山彰『環境経済学』(有斐閣アルマ、2007年).
- Russell Korobkin, The Problems with Heuristics for Law, HEURISTICS AND THE LAW 45 (Gerd Gigerenzer
& Christoph Engel ed. 2006).
- Gary Minda, Cool Jazz but Not So Hot Literary Text in
Lawyerland: James Boyd White's Improvisations
of Law As Literature, 13 _____ 157, 168-170 (2001) (何でも経済学的に法を説明できるとするlaw
and economicsに批判的で、法の自律性を重んじたlaw
as literatureの旗手ジェームズ・ボイド・ホワイトの学説を概説する論考の中で、ボイドがシカゴ大学の教員として過ごした時代とシカゴ学派に関する歴史・背景等を説明しています).
- John E. Montgomery, Cognitive Biases and Heuristics in Tort Litigation:
A Proposal to Limit Their Effects without
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- 奥野正寛『ミクロ経済学入門』(日経文庫、1990年).
- A. MITCHELL POLINSKY, AN INTRODUCTION TO
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- RICHARD A. POSNER, ECONOMIC ANALYSIS OF LAW
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- ______________ (7th ed. 2007).
- ジョン・ロールズ著、田中成明編訳 『公正としての正義』 (1979).
- CENTO VELJANOVSKI, ECONOMIC PRINCIPLES OF
LAW (2007, Cambridge Univ. Press).
- 友野典男 『行動経済学〜経済は『感情』で動いている〜』(2006年、光文社新書).
- DONALD WITTMAN, ECONOMIC FOUNDATIONS OF LAW
AND ORGANIZATION (2006, Cambridge Univ. Press).
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"[E]very lawyer ought to seek an understanding
of economics" because [w]e learn that
for everything we have to give up something
else, and we are taught to set the advantage
we gain against the other advantage we lose,
and to know what we are doing when we elect.
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Oliver W. Holmes, The Path of the Law, 10 HARV. L. REV. 457, 474 (1897) cited in
Stephen G. Gilles, The Invisible Hand Formula, 80 VA. L. REV. 1015, 1042 (1994).
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