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Susumu Hirano, Professor of Law, Faculty of Policy Studies, Chuo University (Tokyo, JAPAN); Member of the New York State Bar (The United States of America). Copyright (c) 2020 by Susumu Hirano. All rights reserved. 但し作成者(平野晋)の氏名&出典を明示して使用することは許諾します。 もっとも何時にても作成者の裁量によって許諾を撤回することができます。 当サイトは「法と経済学」の研究および教育用サイトです。
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ジョン・ロールズによる批判 〜公正としての正義、分配に於ける正義、他〜
「規範的法哲学者」(normative legal philosophers)とは…
ドゥオーキンによる批判
「法と経済学」と「シカゴ学派」の歴史
アメリカ法学に於ける学際研究の歴史と、法と経済学とカラブレイジ
「パレート最適」よりも「カルドア・ヒックス効率」の方が「法」の経済的分析に適する理由
【未校閲版】without proof
先ずは前回の積み残しである「(会社法)自己資本比率」のハイポの続き → 「第8回講義」
映画「ウォール街」(マイケル・ダグラス、チャーリー&マーチン・シーン出演、1987年、二〇世紀フォックス) 続編はここ。
コースがこの定理をシカゴ大学で紹介した際に、学者達(含、将来のノーベル賞受賞者の二名)が理解して受容する迄には2時間も掛かったので、諸君に時間が掛かっても落胆しないように!
WITTMAN, ECONOMIC FOUNDATIONS OF LAW AND ORGANIZATION, infra, at 34.
平野『アメリカ不法行為法』, infra, at 239〜.
コースの偉大な点の一つは、カガイシャ(e.g.,工場)のみならずヒガイシャ(e.g.,周辺住民)も事故発生に寄与していると「平等」(asymmetry)に捉えたこと。責任はカガイシャに落ちるとは限らず、ヒガイシャが引越しをした方が効率的な場合もあるのだ!!→いたずらな内部化への批判 by Coase
事故発生への寄与に於いては、カガイシャのみならずヒガイシャも「平等」に捉える。
WITTMAN, infra, at 32; 『アメリカ不法行為法』, infra, at 241 n.90(自動車対自転車のハイポ), 247(工場対周辺住民のハイポ).
Hypo. 「牧場主 対 農場主」 COOTER & ULEN, infra, at 86-88 & fig. 4.1.
公正の観点から「カガイシャ」が敗訴して賠償負担すべきと思うのが、因習的な法曹・法律学。COOTER & ULEN, infra, at 86.
平野 → すなわち因習的な法律学に於いては、ヒガイシャに降り掛かった損失をカガイシャに転嫁すべきか否かだけを問うていた。つまり、当事者間という狭い関係を「近視眼的」(myopic/short-sighted)に見て「所得の分配」(income distribution)のみを論じていた。すなわち既に発生してしまった損失を「事後的」(ex post)に捉えて、その損失の転嫁ばかりを論じていた。 テキスト@pp.38〜, 216.
→ そもそも社会全体に既に発生した損失額(社会費用)を将来的に極小化する政策を求めること、すなわち「資源の効率的な配分」(efficient allocation of resources)は論じなかった。既に発生した損害の転嫁ではなく、むしろ今後発生し得る損失を「事前」(ex ante)に極小化する為の議論は欠けていた。
→ しかしCoarseが着目したのは、既に発生した損失の当事者間の富の分配という近視眼的な問題ではなかった。 むしろ今後、社会全体に発生し得る損失を、「巨視的」(macroscopic)に捉えた上で、社会全体の費用を極小化すべきと考え
しかしコースは「効率性」を指導原理と捉えた。Id.
$100/年の農作物被害を、防止する為の案の選択肢は次の通り:
@$50/年で農園に柵を構築、または、
A$75/年で牧場に柵を構築。 → 効率性からは明らかに、@が正しい。 Id. at 86-87. ∵↓COOTER & ULEN, infra, at 87.
もし凵i牧場主)に「自由に放牧する権利=牧場主権」を付与して凾勝訴させれば、π(農場主)は敗訴して$100/年の損失を負担したままになるよりも$50/年の柵設置費用負担を選択する。結果$50/年が節約できる。
もしπ(農場主)に「農場を侵害されない権利=農場主権」を付与してπを勝訴させれば、凵i牧場主)は敗訴して$100/年の賠償を負担するよりも$75/年の柵設置費用負担を選択する。結果$25/年が節約できる。
$25/年を節約できる選択肢(π勝訴)よりも、$50/年節約できる選択肢(剌汨i)の方が効率的である。
しかしπと凾フ両者が取引すれば、仮に両者が結婚した場合(映画「大いなる西部(The Big Country)」1958年アメリカ映画、グレゴリー・ペック主演、チャールストン・ヘストン共演)のように協力し合う関係になれれば(i.e.,「取引費用」(*)がゼロならば)、以下のようになるからπに農場主権を付与しても効率的な結果に至る。 COOTER & ULEN, infra, at 87-88. / 世界史の例を挙げるならば、1479年のカスティーリャ女王イザベル一世とアラゴン王フェルナンド二世の結婚によるイスパニア王国の成立?! ⇒ 二人の娘が神聖ローマ皇帝の息子と結婚して出来た長男がイスパニア王位を継承すると共に神聖ローマ皇帝をも継承してハプスブルグ朝スペインに繋がる!!!
[*] 「[市場]取引費用」(mkt. t/a costs)とは、取引を実施し、強制し、または権利を交換する為に掛かる費用。WITTMAN, infra, at 34. See also 『アメリカ不法行為法』, infra, at 243-45; COOTER & ULEN, infra, at 91-___ --- .
(1)探索費用(searching costs)、(2)交渉費用(bargaining/negotiation costs)、(3)監視・執行費用(monitoring/enforcement costs)。 COOTER & ULEN, infra, ar 91-92; WITTMAN, infra, at 37.
牧場主(凵jは、$75/年負担で柵を設けるよりも、$50/年を農場主(π)に付与して農場内に柵を設けるように申し込む( bribe:賄賂)。これにより牧場主は$75−$50=$25/年だけ節約でき得る。しかしその節約額を牧場主だけが享受するのでは農場主は承諾しないので、牧場主は節約額$25/年を両者で折半($12.5づつ)することを再申込すれば、農場主は承諾する。(賄賂として$50+$12.5=$62.5/年を支払う。それでも牧場主は自己敷地内に$75/年で柵を設けるよりは$12.5/年だけ得をする。) 結果、合意によって、$50/年の柵構築という最も効率的な選択肢に至る。 COOTER & ULEN, infra, at 87-88.
次回はテキストのpp. 239-45, 247を読んでおくこと。)
See平野晋『アメリカ不法行為法---主要概念と学際法理』342-44頁(中央大学出版部、2006年)の第二部、第II章.
「法と経済学」および「批判的法学研究」(CLS: critical legal studies)との比較に於いて、第三番目の法の原理的な学派としてのジョン・ロールズのことを、倫理哲学的に不法行為法を分析する指導的学者のGeorge P. Fletcherは以下の論考に於いて次の様に指摘しています。
出典: George P. Fletcher, Why Kant, 87 COLUM. L. REV. 421 (1987).
- 非功利主義者的な諸価値(nonutilitarian values)に法の原理を置こうと試みる第三のグループは、「規範的法哲学者」(normative legal philosophers)と呼ばれる。彼等は以下の二つの前提に立っている。@効用と効率を凌駕する「権利」を個人が有していること。および、A規範を構築することによって倫理的生活と法的生活を形成することが可能であること。
- 以上の前提に立つ中心的な著作は、JOHN RAWLS, A THEORY OF JUSTICE (1971)である。
- ところでロールズの「原初状態」の方法(Rawls' method of the original position)は、一方当事者が他方当事者を不適切に侵害乃至加害したか否かという典型的な民事法律紛争を解決する為のルールを余り教えてくれない。何故なら原初状態に於いては、カガイシャとヒガイシャの双方を満足させるようなルールを採用する余地など存在しないからである([T]here is no way in the original position to adopt a rule that would be satisfactory to both transgressor and victim.)。
Fletcher, Why Kant, supra, at 428-29.
有名な批判は、ドゥオーキンの以下の論文です。
Ronald M. Dworkin, Is Wealth a Value?, 9 J. LEGAL STUD. 191 (1980).
「法と経済学」は、社会に於ける富の極大化を善として、それ自体が目的化しているようです。
しかし、富の極大化自体が何故、善なのでしょうか?
法が本来目指すべきは、「福祉の極大化」(welfare)であるべきです。
「法と経済学」という比較的新しい学際的学問分野の出現に於いては、いわゆる「シカゴ学派」(Chicago School)がその勃興に貢献したという指摘を、しばしば目にします。
それでは一体、その法と経済学のシカゴ学派というものはどのように出現したのでしょうか?その歴史を簡潔に示すものとして、以下の論考の中から紹介しておきましょう。
出典: Minda, James Boyd White's Improvisations of Law As Literature, infra, at 157, 168-170.
アメリカでは古くから学際的に法律学を研究していた点を、倫理哲学的に不法行為法を分析する指導的学者のGeorge P. Fletcherが、以下の論考に於いて次の様に指摘しています。
出典: George P. Fletcher, Why Kant, 87 COLUM. L. REV. 421 (1987).
(n.17)Calabresi, Some Thoughts on Risk Distribution and the Law of Torts, 70 YALE L. J. 499 (1961).
(n.18) K. LLEWELLYN & E.A. HOEBEL, THE CHEYENNE WAY (1941).
この点についても、前掲George P. Fletcherが、以下の論考に於いて次の様に指摘しています。
出典: George P. Fletcher, Why Kant, 87 COLUM. L. REV. 421 (1987).
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"[E]very lawyer ought to seek an understanding
of economics" because [w]e learn that
for everything we have to give up something
else, and we are taught to set the advantage
we gain against the other advantage we lose,
and to know what we are doing when we elect.
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Oliver W. Holmes, The Path of the Law, 10 HARV. L. REV. 457, 474 (1897) cited in
Stephen G. Gilles, The Invisible Hand Formula, 80 VA. L. REV. 1015, 1042 (1994).
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