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2011年
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ニュース・日記

 
日記
2011年9月7日(水)
「東アジア法と文化」主催連続講義「日本の裁判員制度」に参加

陪審裁判制度を、法社会学的な視点から、比較制度的に研究しておられる教授による、掲題の講義に参加。

教授曰く、日本は市民参加型裁判が長く存在していなかった社会なので、導入の効果を把握するには絶好の調査対象であるとのこと。社会学の研究者らしい興味を感じさせる。

発表用のパワーポイントでは、日本で取材した際の写真も豊富。回覧用の資料は、日本で最高裁判所等が周知活動用に印刷・頒布した様々なパンフだった。

講義の内容は、日本の裁判員制度の概要を紹介し、導入前の世論の反対論を紹介し、導入後の参加者達のの肯定的なコメントを紹介した。更に、実際の刑事事件の事例を紹介して、参加者に刑期として何が妥当かと問うことで講義参加を促していた。

写真を多用したスライドや、事例を通じた講義参加の促し方など、非常に上手い講義の方法が、大変参考になった。

スライドの枚数は全部で約25枚。プレゼン時間は正味約40分強くらい、質疑応答が20分弱程。

質疑応答の最後に、僕から以下、質問 「日本人は裁判官裁判の方を、市民参加型裁判よりも好むと言われている。何故ならば、裁判官の方が隣人市民たちよりも賢いと思っているからだ、との見方をどう思うか?」
答: だから、裁判員制度では、評議を市民だけに委ねずに、裁判官も参加して、裁判員を導くことにしたのではないか。

確かにアメリカの陪審員制度では、評議に裁判官が関与することは厳に禁じられていると僕も理解しているので、ここは興味深い論点である。できればもっと文化の相違をどー思うかについて教授の意見をききたかったが、それは後日のお楽しみか。

2011年9月12日(月)
ジム・ヘンダーソン教授(不法行為法)&ボブ・ヒルマン教授(契約法)と打ち合わせ&ご挨拶





































僕のスポンサーであり且つ共同研究者でもあるジムと、研究計画等の打ち合わせを行った。

先ずは、今秋水曜夕刻の教授会でジムが僕を紹介してくれる手筈なので、僕の履歴等の確認。ジム曰く、それにしても業績が多いねぇ、感嘆したよ、とのお言葉を賜る。全米一(すなわち世界一?!)の製造物責任法の権威者からこれだけの言葉をいただけるとは、光栄なことである。僕が中大で担当している科目が何かや、「中央」大学の発音の仕方までしっかり確認されておられた。

僕から拙著『アメリカ不法行為法』を献本し、ジムからCongratulationsとのお返事をいただく。他にも持参して来ていた、拙コメント掲載の『BUS. L. J.』誌二冊も献本。

研究計画として、製造物責任法以外にも、契約法(ボブ・ヒルマン教授)にも興味がある旨をお話したところ、ジムも今、契約法の論文を書いていてボブにも意見をもらっているとのこと。
ラクリンスキー先生の認知心理学にも興味がある旨をお話ししたら(ラクリンスキー先生はジムと共著論文を書いているだけでなく、ボブとも共著論文がある)、彼は情報化時代のツールにお詳しいとの話にもなった。

拙論文の案をお渡ししたところ、大変興味をもっていただき(Reasonable Alternative Warning: RAW:ロー:生という概念に今、書いておられる論文が関係するとのことで)、意見も下されるとのこと。ジャーナルに投稿するなら1月下旬頃が良いとのアドバイスと、ラクリンスキー教授が投稿の情報に詳しいとの話に繋がった。

ジムが講義を持つのは秋学期のみで、冬からはフロリダの家に戻られるとのこと。執筆は続ける予定で、不法行為全体を論じる論文や、前述の契約法の論文など、エマニュエル・カントなどのfairness論に言及し、延いては本にする予定とのこと。

ジムの後にボブに挨拶の為、オフィスにお邪魔する。LL.M.学生時代にボブに学んで成績も「H」(Honor)を親切にもいただいた旨をお伝えする。ボブ曰く、最近はLL.Mも規模が大きくなり(僕が学生時代の30名から今は70名に)、且つサマーズ先生が引退して、契約法の教授が減って授業の負担が大変とのこと。

拙著『体系アメリカ法』や『国際契約の起案学』および『海外情報通信判例研究会(第一集)』、および『BUS. L. J.』二冊を献本。『体系』の中でボブの板書を引用している旨も指摘し、『研究会』掲載のラップ型契約の論考の話もして、日本のガイドラインと、ALIのPRINCIPLESとの比較をしたい旨をお話した。

ボブからは、PRINCIPLESの消費者保護的性格が某超大手ソフトウエア会社から批判されたりしているとのお話も。また、22日木曜にライルズ先生が設定してくれた昼食会を楽しみにしているお言葉もいただいた。




2011年9月14日(水)
アメリカのロースクール教授会に初参加!






















































































































教授会議長の学部長 (Dean) から正式な参加招請を受けて、4:00pm開始の教授会 (Faculty Meeting) に参加。終了時刻は4:50pm。日本の教授会とは大きく異なって、月一回の教授会の開催時間は60分以内が慣例だそうだ――それ以上だと皆、途中で逃げ出してしまうからだそうである :-)

教授会室も「教員ラウンジ:Faculty Lounge」(左1枚目と左3枚目の写真、左2枚目はその外側バルコニー)と呼ばれる、大きな居間のような部屋で行われ、議長を囲んで皆が半円形にソファーや椅子に腰かけるアット・ホームな感じ(写真左1&3枚目とは、実際の教授会の時の椅子・机の配置は異なる)。ちなみに教授会の際に机は使わない。構成員が内職をすることも無く、集中して短時間で終わる。部屋の照明も間接照明で、家具も、壁の内装も落ち着いた高級ホテルな感じだから、流石はアイビーリーグ校と思わせる。

議長は立ったまま歩き回って、話を皆に語りかけるスタイル。好感が持てる。すなわち議長も構成員も同格で、井戸端会議をやる調子が、平等な民主主義の伝統を感じさせるのである。議長席と構成員席とが対面する日本のスタイルは、対立構造的だから改善すべきであろう。―尤も、後で事務長に聞いた話では、学部長次第では、教授会の開催スタイルが異なるらしい。―

今回は、年度初め(8月下旬の秋学期から新年度が始まる)の第一回教授会なので、僕のような、新人のメンバーが教授会で紹介されるのが慣例だそうである。

確かに日本の教授会でも、Visiting Scholar等の非常勤の構成員には、年度最初の教授会で自己紹介の機会を与えるのが普通である。尤も、僕の所属する中大の総合政策学部では、新人紹介を自己紹介形式で済ませると、新人達は教授会室から退出して、後は、いつものように2時間超のダラダラした教授会が続くの普通だが、コーネル・ロースクールは異なって、教授会の最後まで新人も同席させてくれる。そもそも50分で終わるのだし、アメリカの教授会の雰囲気を知りたかった僕には好都合だった。(学生時代には許されない貴重な経験である。)

先ずは議長=学部長が、新人紹介を進行させる。日本と違うのは、自己紹介は一切無く、誰か、教授会の構成員が新人を紹介する形式をとること。紹介された本人が発言することは無く、手を挙げたりして皆に顔を見せる程度である。(紹介内容の方は、紹介者が被紹介者の履歴を元に、如何に素晴らしい履歴・業績の持ち主なのかを徹底的に褒め上げる。) 流石にアイビーリーグ校のロースクールだけあって、新人の非常勤教員や研究者・Visiting Scholarの数は多く、教授会の全時間の半分くらいを費やす。

新人教員ではなく、特にVisiting Scholar 達の紹介は、僕以外は国際部門の事務長がすべて一括して行ったけれども、僕の紹介だけは、別にジム・ヘンダーソン先生が直接行ってくれた――多くの本と数えきれないくらいの法律論文を発表しておられる。平野教授と奥様のK夫人は一年間ここで過ごす予定である。実は彼は22年前にコーネルで修士号を取得していて、ジムと彼との付き合いはその時以来である、当時は二人とももっと若かったが(ここで皆、笑). . . 。既に日本の製造物責任法に関する英語論文(ここで論文の仮題まで皆に告げていただいた)を起案中で、1月下旬にアメリカのロー・ジャーナル誌掲載を目途に研究中である――と、簡潔に且つ皆によく分かるようにご紹介いただく。教授会が終わった際にも、ジムから「これで正式に構成員だね」と温かい言葉まで掛けていただき、感謝、感謝。

新人紹介の後の議題は、委員会報告。学生への各種賞の受賞候補者を賞決定委員会の委員長が報告し、議長が全員の意見を求めたが、何も異論がなかったので、それでは賛意を口頭で表して下さい的なことを議長が言って促すと、皆が一斉に、「Aye (アイ)」と唱和した。「Aye」とは何の略語なのか不明だったが、後で調べてみると英国議会で「賛成」を表す言葉だそうだ。――日本でよく見られる「異議なしっ!」ってやつに近いのかも。そういえば「大事なことは教授会で決まるのではなく(教授会は形式に過ぎない)、教授会の外で決まる」とは、事務長が教えてくれた話。何処も同じか . . . 。

次に人事委員会の報告を人事委員長が行う。「ソフトな知的財産権」を専門とする教員を探しているところである。「ソフトな知的財産権」とは、特許法のような「ハードな」部分を除いた知的財産権のことで、例えば、著作権や商標権、等のことである、と委員長が報告。更に、中でも契約法の教員欠如問題を解決するのが喫緊の課題のようで、5名ほどの候補者とのインタビュー等の予定を委員長が述べ、リクルート活動への教授会構成員のボランティアな協力を要請していた。―この辺り(すなわちリクルートには手間が掛かる点)も、何処も同じようだ:-)。

最後に、議長から、二つほど大きなプロジェクトの報告。

一つは、NY市が、「東海岸のシリコンバレー構想」を打ち出して、RFP (Request for Proposal)を発表しているところ、コーネル大学も興味を示しているものの、スタンフォードも名乗り出しているとのこと――東海岸のシリコンバレー構想に、なぜ「西」海岸のシリコンバレーの巨人スタンフォードが手を挙げるのか、おかしい、と議長が言うと皆に受けていた。

尤もコーネル大学の中で東シリコンバレー構想に関係するのは、主に技術系学部や医学部くらいで、ロースクールは余り関係ないとは思うとのコメントを議長が示しながらも、状況を把握し続けると述べて、その報告を締めくくっていた。

二つ目のプロジェクトは、ロースクールの増築PJ。隣の「アナベラ・テイラー・ホール」(大学教会、左写真5枚目の右側構造物がそれで、手前の芝生が中庭)と、ロースクールの「マイロン・テイラー・ホール」(左写真6枚名がそれで、手前の芝生が中庭)――なお左側写真4枚目の肖像画左がマイロン、右がアナベラ・テイラー――との間の中庭 (Court Yard) の地下に、教室を建築することが既に決まっているようで、その建設(これを「フェイズ One」と呼んでいる)を来年夏から16か月で進行させるとの野心的な予定を議長が報告。授業等への影響を極力最小限にしていくとのこと。

教室が最終的 (「フェイズ Two」完成後?) に幾つくらいの数になるのか?との質問に対し、まだ幅のある構想である旨の返答がなされて、教授会が終わった。(教室不足で頭を悩ましているらしい――これも何処も同じか?!)――。 なお、事務長に後で確認したところ、「フェーズTwo」では法律図書館(Law Library)を解体して、そこに新しい建造物を建てる構想があるけれども、予算の手当も付いておらず、未だどーなるか解らないとのこと。

 



2011年9月21日(水)
外国公務員腐敗防止法の講義に参加





超大手商社の企業法務の実務家で、コーネル・ロースクールOGの、茅野先生による掲題の講義に参加した。これは、クラーク「東アジア法と文化」連続講義の一つ。教室はいつもの276号教室(左写真参照)。

スライド15枚を使いながら、話も分かり易く、事例も豊富に引用しながらの講義。講義のプレゼンの時間は約40分。質疑応答が所定の20分を超える程に盛況だった。ちなみに教室に入りきらないくらいの聴講者が集まり、Deanを初め、Bob Hillman教授他、教授陣も多数、参加していた。

力点は、特に最近立法された英国版の腐敗防止法で、その域外適用的な性格と、その解釈・ガイドラインなど。

この英国版腐敗防止法は企業による内部統制的な対応を要求していて、現代的――企業法務の実務家には、SOX法を思い起させるのである。なお米国版の方では、公益通報を奨励するような制度も出て来ているとのこと。

何故、英国版の腐敗防止法が、わざわざ域外適用に積極的なのかとの質問に対しては、結局のところ、賄賂で他国企業が入札で契約を奪っているという、公正競争を阻害している現状を打破して、競争市場を実現することこそが英国企業の利益につながるとの思想が背景にあるらしいとの説明であった。非常に興味深い指摘である。



2011年9月22日(木)
B教授(契約法)と昼食










































































































































本日は、コーネル・ロースクールのご招待で、昼食をご馳走になった。企画してくれたのは、アジア法と文化人類学の双方を担当しているライルズ教授だったけれども、彼女は風邪をこじらせてしまい、急遽、B教授と二人で昼食をとることに。

昼食をいただいたレストランが入っている「スタトラー・ホテル」(Statler)(左写真1枚目)は、コーネル大学が世界に誇る「ホテル経営学大学院」(Cornell School of Hotel Administration)(写真2〜3枚目)に併設された本格的なホテル。内装もいわゆる四つ星ホテルの作り。キャンパスの在るイサカ市は、どー見ても田舎町だけれども、このホテル内だけは別世界。流石は名門、アイビー・リーグ校の貫録をうかがわせる。(以下、オフィシャル・ホームページ参照)

http://www.statlerhotel.cornell.edu

スタトラーへ行く道すがら、コーネル大学の象徴的な時計台(左写真4枚目)を眺めながら近道を進む。この時計台、数年前に、高い尖塔のてっぺんにパンプキンが突き刺さっていたという事件が発生し、全米的なニュースになった、とB教授が説明してくれた。本当に高い尖塔なので、誰も除去できず、腐れ果ててやっと無くなったとのこと。 . . . 平和である。


時計台の近くには大学のチャペル(Sage Chapel)があり、そこでB教授の娘さんが結婚式を挙げたとのこと。おめでとうと伝えると、もう数年前の出来事で、既にお孫さんが産まれる予定とのこと。ご長女さんの方は既にお子さんを産んでおられるとのことなので、B教授はお爺さんなんですね、とお伝えしたら、まんざらでもないご様子。僕が院生時代にB教授の契約法を履修した際には、B教授が仮想事例で高校生の娘さんの話をなさったと言ったら、僕の卒業年度(Class of '90)と娘さん方の年齢が確かに一致するねと、おっしゃっていた。

さて、今回ご招待いただいたレストランは、ホテル内に四つあるレストランの一つ、「Taverna BANFI」(食べるな?!バンフィ)という名のイタリアン。レストラン内では、キャンパスの通常の風景とは一転して、スーツを着た「社会人」が多く見掛けられた。大学はこれらのレストランを、専ら接待に使っているらしい。

(以下はレストラン「BANFI」のオフィシャルHP)

http://www.tavernabanfi.com

昼食時はビュッフェ(バイキング)が利用可能なので、B教授に従って僕もバイキングにしてみた。味の方は悪くはない(アメリカの中では十分に美味しい部類である)けれども、とびぬけて旨いとゆー程ではない。日本人は味覚がおごり過ぎなのかもしれない。

B教授とは家族の話や住まいの話、通勤の話に進んで、打ち解けてくると政治の話にも及んだ。ブッシュ(Jr.の方の)大統領が若いときは余り素行が宜しくなかったとゆー一般論に話が及ぶと、そういえば大学時代に政治に全く興味を持っていなかったとゆー話を僕が思い出し、それにしても、それで何故、名門イェール大学に入学できたのか?と正直な疑問をぶつけてみた。
すると答えは、皆、父親の力のおかげだよ、とのこと。オバマ大統領の話題に及び、健康保険の皆保険は日本では当たり前だけど、その努力をなさったオバマさんのアメリカでの評価はどーかと尋ねてみると、景気が悪いから次期はあぶないかも、との返事。個人的には彼もオバマさんが好きらしいけれども、景気が悪い時の大統領は再選が危ういとゆー傾向を懸念なさっていた。選挙は来年の11月。テキサスのペリー(?)候補が共和党で支持を得ているそうで、彼が大統領になってしまうかもしれないとの予測を示しておられた。

日本の政治に話が及び、津波の件で首相が辞任したのか?と問うてきた。僕から、危機管理の対応がまずかったと国民が思っていると応じた。すると、今度は、原発の状況は大丈夫なのか?とご懸念を示された。僕からは、土壌汚染の浄化と、作物の汚染が懸念されている旨を説明しておいた。


話題が研究の件に及び、B教授から、契約法学者のメーリングリストで最新の判例分析が出ていたから、それを僕に転送してくれるとの温かいお言葉を得られた。僕からは、研究のテーマの一つである、ラップ型契約について、日本のガイドラインがブラウズラップ契約でも有効だと示す改訂版を打ち出した旨を説明し、拙訳も手渡しておいた。

更に研究のテーマとして、組み込みソフト(embedded/dependable)の保証責任に興味がある旨を僕が披露すると、これにも彼が関心を寄せてくれた。彼が起案者になったALI (America Law Institute) とゆー権威ある団体がまとめた『PRINCIPLES』(PRINCIPLES OF THE LAW OF SOFTWARE CONTRACTS)(*1)では、組み込みソフトを対象外とした点に僕が言及すると、B教授からは、ALIの、以前の失敗プロジェクトであった『UCITA』(UNIFORM COMPUTER INFORMATION TRANSACTIONS ACT)(*2)が対象を広くし過ぎた反省から、対象を絞り込んだとの説明をくださった。更に、組み込みソフトのmerchantabilityの問題は、既存の法ルールを類推適用すれば解決可能だと思うとの示唆もいただいた。

(*1) 『PRINCIPLES』につては、拙考「米国における『ラップ型契約』について」in『海外情報通信判例報告書(第一集)』(総務省・情報通信政策研究所、2010年)や『デジタル時代の人間行動』(共著、中大出版部、2011年)等を参照。
(*2) 『UCITA』については、拙著『電子商取引とサイバー法』(NTT出版、1999年)参照。

帰りの道筋で(ホテルからロースクールまではキャンパス内を近道すれば歩いて7〜8分の距離である)、最近の教授たちの昼食の慣行に話が及び、昔(僕がコーネルの院生だった頃)は教員達が連れだって外食することが多かったけれども、最近では皆で教員ラウンジに集まって弁当を持ち寄って雑談するのが流行っているとのこと。僕にも参加しても良い、と誘っていただいた。又、毎週金曜には外部の学者を招いてスピーチを聞きながらの昼食会が教員ラウンジで行われるので、興味のあるトピックがあれば参加してみれば、とお誘いいただいた。(後で事務の方にお願いして、金曜昼食会のトピックが分かる、教員のメーリングリストに加えていただいた。)

ロースクールへの近道を行く途中、ビジネス・スクールが収まっている「セイジ・ホール」(Sage Hall)(左写真の茶色の建物)の後ろを通る。ここは建物の見た目は古い建築様式なのだが、実は非常に新しく、内部は外見と正反対に超モダンなので一度見学に行くと良い、とB教授が勧めてくれた。(後で調べたら、オリジナルの建築は1875年であるが、20世紀の最後辺りに巨額を投じて改築し、外見はオリジナルを維持させたとのこと。)  百何十年前の建造物が、多額の改装工事を経て、今も立派に活躍しているというのも、流石はアイビー・リーグ校である。温故知新。伝統を忘れず、進取の気性も失わない。我が中央大学も見習うべき精神であろう。


ロースクールの建物が近づいてくると、例の増築プロジェクトの件に話が及び、フェーズOneの予定地を示して下さった。Court Yardの地下に増設すると僕は理解していたのだが、正確には、Court Yard前の道路(Campus Road)に面した一角とのこと――左写真の前方の芝生と小道の辺り――。平素B教授は地下への増築には反対派なのだそうだが、本件に関しては、美観を維持する為に地下に教室を作るとゆーことだから賛成だとおっしゃっておられた。尤も16か月で完成するとの件については、そんなに早く完成するとゆー計画は、ちょっと信じられないとのご様子。なお教室不足の現状を認められつつ、オフィスも足りないとのこと。やはり何処も同じよーである。
フェーズTwoの、図書館を壊して図書スペースを狭くして再構築するとゆー計画についても話が及ぶ。図書スペースを狭くする理由は、デジタル化の進展により紙の本が減っていることに基づくけれども、B教授自身は懐疑的であった。

僕からB教授にはお礼として中大のマグカップを差し上げておいたが、喜んで下さった。

お別れしてから即、B教授からメールが来て、例のメーリングリストを転送してくれた。
小生からお礼と、以下の二点を記載したメールを送信しておいた。

1.契約行動と人間行動に関するB教授とラクリンスキー教授の共著論文にも興味をもっていること。
2.もし組み込みソフトが百万回に一度、誤作動を起こした場合にも、merchantableといえるか?とゆー仮想事例的な質問。

夜になってから自宅にB教授から返事が来て、以下二点を情報提供してくださった。

1.近々、コーネルのジャーナルにラクリンスキー教授との共著小論文が出る予定で、内容は、スマホが契約行動に及ぼす影響に関するものであるとのこと。
2.もし百万回に一回の誤作動発生を被許諾者側で知っているのであれば、merchantableと解され得るのではないかとのこと。

僕からお礼のメールを送信し、午前2時過ぎに就寝した。



2011年9月24日(土)
H教授夫妻ご招待の夕食会















































































イサカ市で一番評判が高く、教授陣が接待にも多用するレストラン「ハイツ・カフェ」(The Heights Cafe)に、H教授夫妻から、愚妻と伴にご招待を受けた。(以下、ハイツ・カフェのHP参照)

http://www.heightscafe.com/


ハイツ・カフェの場所が、もしかしたら僕らには解らないのではないか、と以前からH教授はご心配なさっていた。木曜の夕刻には、わざわざ僕の研究室に電話を架けて来て、行き方を教えるからと、多忙な中を時間を割いて、手ずから地図を描いてくれる程だった。細やかな心遣いにはいつも頭が下がる。

僕としても心配させてはならじ、とばかりに、木曜の夜に妻と一緒にレストランまで確認の為のドライブに行った。行き方は、実際に行ってみると意外と簡単で、自宅から僅か15分も走れば到着。外見は、こざっぱりとした、家庭的な雰囲気の店構えである。(左写真1枚目参照)

土曜当日、朝から妻は、着物を着ていくと、はりきって準備に着手。悩んだ末に選らんだ着物は、彼女の祖母も着ていたとゆー年代物(写真左2枚目)。僕は、着物に関する質問に備えて、ネットで着物の織り方や紋様のリサーチに取り組む。「小紋」は「fine pattern」と言うらしい。「ふくら雀」は、「福良雀」とも当て字が可能なので縁起が良く、「inflated sparrow」と表せる。「瑞雲」は「auspicious clouds」。「菱形」の紋様は「有職(ゆーそく)紋様」で、平安以降、公家階級の装飾・家具等に用いられて来た。「佐賀錦」の帯は、経糸に「Japanese paper coated in gold or silver」で、横糸に「silk dyed」を用いたbrocadeか . . .結構難しい。

ついでにお土産の説明も必要になるかもしれなと思い、メモパッドの装飾の「源義家」のリサーチ。源頼朝の祖先なので英雄扱いされた云々とゆー説明に納得。ペン置きの装飾の、「小督(おごう)庵を訪ねる仲国」の図は、平家物語 . . . 。うーん、勉強になる。

と日本文化の勉強に加えて、同時に僕は、本業の研究に関する質問も準備すべく、H教授の著作の最新改訂版(昨日急遽コーネル・ブックストアで購入)をにわか勉強。


車で予定時刻18:00少し前に到着――思わず日本人をやってしまった。少し車内で時間を稼いでから、18:03にレストランに入る。

店内の、入口近くに立っていたギャルソンが、あちらの席でお連れ様がお待ちです、と僕たちを直ぐに導いてくれた。どうして連れの名前を僕たちが告げる前から、連れが誰だか分かったのか不思議に思った。今思い返すと、事前にH教授夫妻が、僕たちの到着をギャルソンに予告しておいてくれたからに違いない。再び細やかな心遣いに感謝。


店内は、店の外見とは大違いに、おしゃれをした大勢のお客達でにぎわっていた(元学長も中に居らっしゃったと、後でH教授夫人から聞いた)。客が多いので、テーブルとテーブルの間の隙間も東京のレストラン並に狭い。外見からは実のところ、これが一番評判のレストランですか、と思っていたのだが、中に入って納得。田舎町イサカとは思えない、おしゃれな内装と客層なのである。

先に席で待って下さったH教授は、僕たちを発見するとわざわざ立ち上がって迎え入れてくれた。
着物がきれい、と お誉めいただき、僕たちからは準備していた着物学を一部披露。着物の紋様の中には「牡丹唐草紋様」や「古典柄」等がちりばめられていたので、奈良東大寺の正倉院とシルクロードの話をして、なぜアラベスク紋様が日本に古来から生かされているのか等に言及しておいた。

H夫人は約18年前に東京でお会いした際よりも闊達・饒舌な感じで、いろいろな話題を提供して場を盛り上げて下さった。
H教授の方は、いつものように物静かな感じながらも、常にテーブルの食事と僕たちの食の進行具合を気になさって、お勧めのメニューの解説や、飲み物やアペタイザーを勧めて下さった。

話題が、冬季にはH教授夫妻がフロリダのお家に帰られる件に至り、冬季に僕らに時間の余裕があれば是非ともフロリダまで遊びに来てほしいと、ご招待にあずかった。その家は大きく客人を迎え入れる余裕もあるとのこと。フロリダのお家までの行き方までご説明下さり、近くの空港はオーランドよりは寧ろウエスト・パーム・ビーチの空港だそうである。富裕層が悠々自適の生活を送っている土地だそうで、ミュージアム等の地域文化施設も、地元住民の寛容な寄付のおかげで充実しているらしい。流石はウエスト・パーム・ビーチ近くの土地柄である。

僕たちは、オーランドとマイアミには行ったことがある、と応じた。お家からは、NASAの打ち上げも見られるそうである。又、ちょっと離れるけれども、今度フロリダに来たら、キーウエストまで足を延ばすと良い等と、観光案内までいただいた。

ご家族の話題に及ぶと、娘さんが企業M&Aの実行に関するお仕事に携わっておられることや、H教授夫人もその仕事のコンサルタントを依頼された話など、ビジネスや景気の話を夫人が積極的になさっていた。とても活発な方である。

食事の方は、ドリンクにアイス・ティー。ご婦人方はワイン。前菜はシーザース・サラダにアンチョビを載せたもの。主菜はテンダー・ステーキ。やはりアメリカなので凄いボリューム。でも僕とH教授はこれを平らげて、僕のデザートはクレーム・ブリュレ、妻はティラミス。日本並みに美味しい。アメリカでは珍しい。

食後、H教授夫妻が車で帰宅するのを見届けてから、僕らも車に。ちなみに夫妻が乗っておられた車は「レクサス」の、おそらく日本では「セーバー」と呼ばれていたスタイリッシュな車。約20うん年前にH教授が乗っていたのは「ボルボ」だったので、流石は製造物責任法の教授、安全性の高い車に乗っていると感心したものだが、今では日本車のレクサスをお選びになったとゆーのにも感慨ひとしおである。(何れにしてもアメリカ国産車にはお乗りになっておられない?!)



2011年9月26日(月)
R教授(認知心理学)と昼食




























カレッジ・タウン。この写真の右隣のアメリカン・スタイルのお店で昼食をいただくことに。





逆にカレッジ・タウン側からロースクール(正面突き当りの城のような建物)を望む。右側のビル群の先の方の店で、昼食をいただいた。




昼食をいただいた店の夜景。



同上。




















































認知心理学の博士号と、法務博士号のダブル・ディグリーを引っ提げて、1994年からコーネル・ロースクールの教授に就いているR教授と昼食を伴にした。

僕が彼と会いたいと思った理由は、彼の論文を読んで、その学説に共感していたからである。実際、僕の本や論文でも、度々、彼の著作は引用して日本に紹介させていただいて来た。だからこの機会に是非、本人と会って意見を交わしたかった。

彼はICTツールに強いとゆー情報は、事前にジムから聞いていた。案の定、以前、研究室に不在だったR教授宛に留守電メッセージを残しておいたらば、僕のスマホ宛に電子メール(しかもGmail)でメッセージが届いた。曰く、今学期は授業を持たずに「サバティカル休み」(sabbatical leave:研究専念期間)で飛び回っているけれども、しばしば研究室に来るから会えるとのこと。そこで今回の昼食に誘っていただけることとなった。

ところでコーネル・ロースクールのサバティカル休み制度では、5年に一度、完全に学務と雑務から解放された研究専念期間を賦与されることに加えて、3年間に一度、一学期の間だけ、授業を持たなくて良いけれども雑務は背負うとゆー「研究 "準"(?)専念期間」も賦与される(ボブから聞いた話)。R教授の現在のサバティカル休みは、おそらく後者の"準"専念期間の意味かもしれない。

当日、約束の正午少し前に電話を架けて、研究室に行って良いかの確認を取ると、快諾してくれた。僕は彼の学説を引用した拙著『アメリカ不法行為法』と、彼の学説を僕が間接的に示唆しておいた総務省の研究報告「海外情報通信判例研究会報告書(第一集)」を、献本の為に携えて、彼の研究室に行く。献本の中の引用部分等を概略説明すると、彼は大変喜んでくれて、何処で自分の論文が読まれているか解らないね。とまんざらでもなさそーな表情。日本の研究者からの接触は、今まで無かったのか?と訪ねると、僕が初めてだ、と笑みを浮かべながら答えてくれた。

ロースクールから歩いて数分の、文字通り目と鼻の先にあるカレッジ・タウンに行く道すがら、僕からはこらえきれずに早くも彼の学説の一つについて質問。彼は饒舌に答えてくれた。一つ質問すると十くらい答えてくれる程のwordsの多さで、しゃべり続ける感があるけれども、意外に分かり易い発音なので、とても好感が持てる。

僕の質問は、「あと知恵の偏見」(hindsight bias)と呼ばれる認知心理学の定理を民事上の過失の有無の認定にあてはめた場合の論点。僕はこれに、昨今の日本の原発問題(果たして原発設計には本当に過失責任があったと認定されるべきか否か)に類推適用した議論を持ちかけたら、彼は大いに乗ってきてくれた。実際、授業では学生に対し、このような議論をしている、とR教授は述べながら、「Fukushima [Nuclea Plant]」の単語を何度も連発しておられた。 

原発が非難されているけれども、どれだけ多くの人を殺したとゆーのか?実はチェルノブイリだって何千人も殺している訳ではない。寧ろ、化石燃料の方が実は多くの人々に害悪を与えているのではないか?炭鉱では多くの鉱夫が犠牲になっているし . . . 。日本の場合は、予想できない程の津波が来たんだし。あと知恵で見れば設計をもっと良くできたはずだとゆー議論になるけれど、発生前に本当にそんな回避義務があるべきだと言えただろーか?等々。

僕から、冷静な分析の為にはあと知恵の偏見のような学説を日本も学ぶべきと信じているけれども、原発問題等についてマスコミにそんなこと言うと袋叩きに合うから本当のことは言えない雰囲気である、と話を向けてみた。すると彼は、日本は原爆のこともあって特殊な事情・背景があるのかもしれない。しかし、アメリカも同じ、と応じて、嘗てオバマさんも、環境的・景気刺激策的にも原発を推進していたけれども、Fukushimaの一件以来全く言わなく(言えなく)成ってしまった、とおっしゃっていた。

僕から、「一度に大量の被害が生じると人々は不合理に拡大して損害を感受するという説を唱えていた人が確かハーヴァードに居たような . . .」と口を差し挟むと、「サンスタインでしょう」と応じられた。僕から「サンスタインはシカゴ大じゃなかったっけ?」と質問すると、ハーヴァードに移ったんだよ、とのこと。アメリカの教授は移動も激しいと聞いていたが、本当らしい。

更に僕から、マスコミはもっとあと知恵の偏見を勉強して、中立的な報道をすべきと思うが、と質問したところ、アメリカ人は一般論としてはあと知恵の偏見の影響を人間が受けることを知っている、と面白い説明をしてくれた。すなわち、例えば、アメリカでは「Monday morning quarterback」とい慣用表現があるという。日曜日のアメフトの試合を見た大衆が、月曜の朝にこれを話題にして、あの場面ではクオーターバックがあそこにパスすべきだったとか、あそこで走るべきじゃなかった、等と論じる現象のことである。これは、あくまで結果を知った後に論じているので、結果を知らなければそんな芸当は出来ないはず、と実は大衆も知っているのである。だからこそ、「Monday morning quarterback」なんてゆー慣用句が在るのだ。一般論的には大衆もあと知恵の偏見を知っていることを示す同じよーな言葉としては、「20/20」(twenty-twentyと発音する)(僕がこれまで論文を読んで来た理解では、視力検査で視力が完全なことの意味のようであり、何でも後からならばお見通し的な意)がある、とR教授。でも問題なのは、一般論としてはそのような偏見の存在を大衆も知っているけれども、具体的な判断の際にまさか自分も偏見に左右されていると気が付かない点である、とご指摘。正に目から鱗が落ちる話である。

ところで僕の質問は、更に、「outcome bias」と「hindsight bias」の違いに及び、これにも彼は丁寧に説明してくれた。

更に彼が最近、裁判官達を集めて仮想事例的な問いに答えさせて、裁判官でさえも多くが誤謬を犯す事実を実証研究している点について質問。よく裁判官がそんなアンケート(すなわちプライドの高い判事達が誤謬を明らかにするようなアンケート)に答えてくれますね?と訊いてみた。彼曰く、社会心理を上手く活用しているとのことで、判事たちの公式の研修会の際に、講師として招かれた彼の講義の一部として仮想事例を用いたアンケートを実施するのだそーである。すると、大勢の判事たち受講生の中では、俺はそんなアンケートには答えんぞ、等とは言えなくなるんだよ、とのこと。実に興味深い話である。彼曰く、多くの判事は協力的で、アンケート結果を即座にその場で公表すると、誰でもじっくり考えないと誤謬を犯す危険性を理解してくれる、とのことであった。すなわち、なぜ誤謬を犯したのか、思考の道筋が如何に誤ったのかを解説すると、それを判事たちも理解し認めて、ある意味感謝してくれるらしい。

更に話題を、B教授との共著小論考がスマホの契約行動への影響について発表する予定である点に向けてみると、彼はその概要を教えてくれて、後で僕のGmail宛にそのコピーを送信してくれた。その殆どはB教授が書いたそうだが、要は、スマホが普及しても、ネットの普及と同様に、消費者は契約書を読まないから、「非良心性」(unconscionability)の法理は相変わらず必要とゆー主張の論考である。僕から、ネットやスマホの普及は、値段を容易に消費者が比較できるようになった点では消費者に恩恵をもたらしたのではないかと指摘したところ、それには彼も同意。しかし消費者が契約書を読まないことについては現実世界もサイバースペースも同じとの見解。僕から、以前読んだ共著論文では、第三者機関がwatch dogとして不公正な契約慣行についてbad reputationsを広めてくれるから、悪い契約書は自然淘汰される云々と記載してあった点に言及。すると彼曰く、でもConsumer Reportsのような第三者機関でも、契約書上の問題までは比較することは余り無いようだ、と感想を述べておられた。

ランチが終わると、あなたはゲストだから、と快くおごって下さった。感謝、感謝。

帰り道でも僕から、「scenario」と呼ばれる学説と、「outcome/hindsight bias」の相違について質問したところ、前者について聞いたことは無いけれども、似た学説に「confirmation bias」があるとおっしゃり、後で電子メールで説明を追加して下さった。

今回も実り多い昼食会であった。

2011年9月28日(水)
「クラーク東アジア法と文化プログラム」主催夕食会

掲題の夕食会が、北京大学の元法学部長をVisiting Facultyとして迎えたことの歓迎会として開催された。僕も愚妻と伴に招待されて参加。場所は教授陣御用達のThe Heights Cafe。

僕たちと同じテーブルには、「財産法」(Property)のA教授夫妻と、北京に在る大学から来た(Visiting Scholarの女性刑事法、特に心神喪失の免責を研究する為にロースクールに来校)、及び、労働関係学部の新任准教授でアジア通の男性F准教授が座った。

当初、F准教授が京都に一学期住んでいたとゆーことと、僕がドコモの法務室長だったとゆーことで、日本の携帯事情や同業界の経済構造等の話題に華が咲いた。

続いてA教授に、僕が嘗て教授の財産法を履修していた話をしたら、驚かれた。特に最初の授業に、仮想事例で、「一方に牧場があるとする」云々とゆー話をなさったことに言及すると、直ぐに「共有地の悲劇」(The Tragidy of the Commons)だね、っと応じていただいた――ついでに僕とA教授からA夫人に、「共有地の悲劇」の由来等を説明――。僕は今でもその話を中央大学の「法と経済学」で使わせていただいていると申し上げ、更に、NTT-DoCoMoの法務室長時代に、迷惑メール禁止法(特定電子メール法)の立法ロビーイングでも使わせていただいた云々とお話しし、興味を持っていただいた。特に後者については、何故、「共有地の悲劇」が迷惑メール規制と関係するのかを、僕としてはよくぞ聞いてくれました、とばかりにゆっくりとご説明差し上げた。

中大で僕も同僚教授と一緒に教えている「法と文学」の授業では、「アラバマ物語」を使っていると言ったらA教授夫妻共々驚かれ、グレゴリー・ペックが適役だと教授もおっしゃられた。グレゴリー・ペックは「白鯨」のエイハブ船長や、「マッカーサー」も演じていますよね、と応じると、更に仰天された。アメリカ映画に日本人が通じていることが不思議なよーである。ハリウッドの世界的な影響力を過少評価しておられたのかもしれない。

マッカーサーにはグレゴリー・ペックは似合わないと教授がおっしゃるので、何故かと問うと、マッカーサーはエゴの強い人間で、自身をジュリアス・シーザーと思うような人物だからとのこと。それならばトルーマン大統領とマッカーサーと何れの人気が上かと問うと、今ではトルーマン大統領だ、との返事。これには僕たちも驚き。日本では絶対に逆だろーけど、センシティヴな出来事に繋がるのでそこら辺りでこの話は終わりに。でもマッカーサーが日本では人気があると言うと驚かれて理由を聞くので、農地解放や民主憲法の導入などを挙げておいた。

別れ際に、僕が迷惑メール禁止立法の講演録が載った雑誌を差し上げたい、とA教授に申し上げたら、電子メールで連絡を取り合う手筈に成った。

今晩も実りの多い食事だった。

2011年9月13日(__)
典型的な食事 . . .

昼食。近くのEast Hill Plazaに在るSUBWAYで買ったサンドイッチ。美味しくはない。そもそも僕は日本に居る頃から、ここの食事は嫌いだった(これは料理とは云えない。)

しかし、家でまともな料理ができる体制が整っていないので、こんなものばかりで凌いでいる。さすがに飽きるが、仕方がない。

 8月の日記・ニュース
 

 中央大学多摩キャンパス「桜広場」を研究室から望む。
Looking down the Cherry Field from my office in Chuo Univ., Tokyo, Japan  
   
The author in Horyu-ji, Nara City, Japan