関連ページは、「現代不法行為法理論」の中の「経済学的抑止論」(Economic Deterrence Theory)
Susumu Hirano, Professor of Law, Faculty of Policy Studies, Chuo University (Tokyo, JAPAN); Member of the New York State Bar (The United States of America). Copyright (c) 2020 by Susumu Hirano. All rights reserved. 但し作成者(平野晋)の氏名&出典を明示して使用することは許諾します。 もっとも何時にても作成者の裁量によって許諾を撤回することができます。 当サイトは「法と経済学」の研究および教育用サイトです。
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ジョン・ロールズによる批判 ~公正としての正義、分配に於ける正義、他~
「規範的法哲学者」(normative legal philosophers)とは…
ドゥオーキンによる批判
「法と経済学」と「シカゴ学派」の歴史
アメリカ法学に於ける学際研究の歴史と、法と経済学とカラブレイジ
「パレート最適」よりも「カルドア・ヒックス効率」の方が「法」の経済的分析に適する理由
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第11回講義 「不法行為"法と経済学"」
前回第10回(コースの定理)の続き: インジャンクション テキスト@pp 133-34.
不法行為法
教科書『アメリカ不法行為法』 pp. 27-30; 38~. 不法行為法の目的は①賠償(compensation)と②抑止(diterrence) 教科書『アメリカ不法行為法』 pp. 38-41の途中まで。
「賠償」とは、元通りに戻すこと。現世では金銭賠償。∵最も価値が高いから。
古代ギリシャの哲学者、アリストテレスの唱えた「corrective justice:矯正的正義」に由来する。 教科書『アメリカ不法行為法』 pp. 291-292 & 脚注5.
「矯正的正義」と「分配的正義: distributive justice」とは異なる。 教科書『アメリカ不法行為法』 p.292 脚注5.
更に、分配的正義が、不法行為法・裁判に適さない理由については、教科書『アメリカ不法行為法』 pp.224-227 (炎天下のアイスクリームの分配例も).
抑止(法と経済学)は「事前的: ex ante」に捉える。教科書『アメリカ不法行為法』 pp.215-219. 「抑止」、「誘引(因)」(incentive)、「事前的:ex ante」 ←→ 「事後的: ex post」な「矯正的正義」(corrective justice) 教科書『アメリカ不法行為法』 pp. 219-292.
「賠償」はπが被った損失を⊿に賠償させるけれども、巨視的に見れば単に損失をπから⊿に転嫁しただけ。既に生じた損失が無くなる訳ではない。
しかし「抑止」は、事故を発生させないように抑止するから、事故費用が減少し、巨視的に見れば、社会の損失を減らすから、「賠償」の目的よりも望ましい。
尤も、事故回避の費用が高額になり過ぎて、その割には事故費用を減少させる効果が薄ければ、社会にとって無駄になり望ましくない。∵事故回避費用も社会にとっての費用=損失であり、事故費用も損失であるから。そこで以下のカラブレジが以下のように唱えた。
Guido Calabresi (グイド・カラブレジ)が、事故費用(accident cost)と事故回避費用(accident avoidance cost)の和を最小限化することが望ましい、と唱えた。 教科書『アメリカ不法行為法』 pp.217-218.
映画「アルマゲドン」
原則としてあらゆる自然人と法人は、注意を払って行動する義務を負う。(一般不法行為:「過失責任主義」:「過失なければ責任なし」) 例えば交通事故の際のカガイシャの民事罰。
日本でも民法709条「故意または過失によって、他人の...利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」
不法行為の責任要件は、「故意: intentional torts」、「過失:negligence」、及び「厳格責任: strict liability」の3種類に大別される。過失が最重要。
過失責任
「過失」とは、注意義務違反。 教科書『アメリカ不法行為法』 pp.96~98. 「過失なければ責任なし」 すなわち過失(注意義務違反)があれば責任が生じる。(但し、因果関係と損害発生は必要。)
何が注意義務か? ➡ Ans.: 「reasonable person standard」:⊿の立場に理に適った人が居たならば払っていたであろう注意を怠れば過失。 教科書『アメリカ不法行為法』 pp.97~100.
それではreasonableな注意義務とは、どこまで注意を払えば良いのか? ➡ なかなか適切な回答を裁判所が出せなかったところ、1947年にHand裁判官が、有名な「United States v. Carroll Towing Co.」事件で以下の「Hand Formula:ハンドの定式(公式)」を法廷意見にて発表。 教科書『アメリカ不法行為法』 pp.106-107. それ以降、多くの支持を受けている。
B<PL→neglogence
「B」は「事故回避(防止)費用: accident avoidance(prevention) cost」 ; 「P」は「蓋然性:probability」 ; 「L」は「損失額:magnitude of Loss」 . . . . 教科書『アメリカ不法行為法』 pp.266-269.
「PL (PxL)」は、事故費用に蓋然性を乗じた値なので、いわゆる「期待値: expected value」。「期待事故費用 (expected accident cost)」と呼ばれる。
【ハンド判事の公式 --- B<PLの補足】
- 「ハンド・フォーミュラ」のPLは「期待事故費用(expected accident costs)」という期待値なので、「危険中立」的選好を前提にしている。平野 at 238.
「危険回避」(risk averse)的選好と「危険愛好」(risk preferring)的選好と「危険中立」(risk neutral)的選好 → 平野『アメリカ不法行為法』infra, at 283-85(中立とハンド・フォーミュラ); 238-39 (回避と愛好).
Hand Formulaによれば、B=PLな場合や、B>PLな場合には、過失がないので責任も生じない。(過失なければ責任なし)☟
後にRichard A. Posner (リチャード・ポズナー)が、「Hand Formula」を「法と経済学」的に解釈。「B」曲線を限界的に増やして行くと、「PL」曲線が限界的に減少して行く。 両者の交わったところが最適。 教科書『アメリカ不法行為法』 pp.269-271. ∵両者共にコストなので、最小限化が望ましいから。 ⇩
厳格責任 (無過失責任)
「厳格責任: strict liability 」は、過失責任主義の例外。以下のような稀な場合にのみ認められる。
「厳格責任」(無過失責任)は、「異常な迄に危険な活動: abnormally dangerous activities」や、「超危険な活動: ultra-hazardous activities」の場合に、限定される。例えば、住宅地で虎を飼ったり、住宅地で建物解体をダイナマイト爆破で行う場合等。 教科書『アメリカ不法行為法』 p.111.
たとえ注意義務を違反せずとも(たとえ注意義務を怠らずとも)(すなわちたとえ「過失」がなくても)、損害をπが被れ与えば問答無用に⊿が賠償責任を負う。 すなわち、「無過失責任」「厳格責任: strict liability」。 教科書『アメリカ不法行為法』 pp.110~111.
理由: 異常な迄に危険な活動や超危険な活動は、たとえ注意を払って行動してもその危険を理に適ったレベルにまで減らせない(程に危険な活動である)から、注意を喚起する過失責任主義では不十分なので、行動を抑止するようになっている。(すなわち、異常な迄に危険/超危険な活動は、無過失責任を負って迄も利益が出る程でなければ活動しても損であるようになっていて、それ程に利益が出る活動以外は抑止される仕組みである。)
一方的危険と双方的危険の違い
厳格責任と過失責任の違いは、「一方的危険: unilateral risk」と「双方的危険: bilateral risk」の違いで説明可能。 教科書『アメリカ不法行為法』 pp.248-250.
「一方的危険」とは、. . . : 例えば原子力発電所からの放射能大量漏洩事故における⊿(カガイシャ:電力会社)とπ(ヒガイシャ:周辺住民)の場合、πの住民側が注意をいくら払っても回避できない 「超危険な活動」であるから、無過失責任が⊿に課されている。 ➡ 一方的に⊿が危険を作出していて、πが損失にほとんど寄与していない。 ∴「一方的危険」
「双方的危険」とは、. . . : 例えば、ファストフード店持ち帰り用ホットコーヒーをこぼして大やけどを負った事件の場合、大やけどという危険は、(1)⊿のM社によるレシピの高温設定(設計上の欠陥?)のみが作出しておらず、(2)πであるヒガイシャ側の不注意も事故(大やけど)発生に大きく寄与している。すなわち(1)だけでは大やけどに至らず、(1)+(2)でなければ大やけどにならない。 つまりπと⊿の双方が寄与して発生する危険ゆえに「双方的危険」。
世の中の多くの危険は双方的危険である。例えば、ナイフやハサミは切れ易く危ないが、怪我を負ったり負わせる為には、使用者の寄与が必要な「双方的危険」である。もっと言えば、あらゆる製品には危険性が伴うけれども、多くの危険性は利用者側の注意で回避できる。
2018年7月6日はココ迄。 続きは7月20日 (13日は休講)
教科書『アメリカ不法行為法』 p.249の蒸気機関車の鉄道会社(⊿)と、周辺住民(π)の被害のハイポ。⊿による事故回避費用を仮に$200と設定して考えてみて下さい。過失責任を採用して、かつHand Formulaを用いると、πが敗訴して結果的に、社会の損失額を最小限化できる結果に至ります(すなわち、事故回避費用の選択肢の中で最安価である、πが自主的に耐火性のある作物に植え替えることになる)。
しかし、仮に上のハイポで厳格責任を採用すると、πは$100掛けて耐火性作物に植え替えなくとも、πの被った$150の損害に対して、⊿が無過失責任ゆえの賠償金$150を支払ってくれるから、πはわずか$100で事故を回避できる耐火性性作物への植え替えをしようとは思わない。ここで取引費用が高ければ、⊿がπに$100の賄賂をあげるように申し出ても受け取ってくれない。従って過失責任主義を採用した方が望ましい行動にπが導かれる。
復習: 「コースの定理」
双方的危険(過失責任)における「最安価事故回避者」
双方的危険(過失責任)の場合には、カガイシャとヒガイシャの二人の内の、どちらか安価に事故を回避できた者を敗訴させた方が望ましい。
復習: 「コースの定理」
∵最安価事故回避者をして事故を回避させしめるようなインセンティヴになるので、「事故費用+事故回避費用」の総和を最小限化することに繋がる! すなわち最安価事故回避者を敗訴させれば、社会的損失を最小限化させる行動を執らせるインセンティヴになる。
「インセンティヴ: incentive: 誘引(因)」とは、. . . 教科書『アメリカ不法行為法』 p.216.
「cheapest cost avoider: 最安価事故回避者」 by Guido Calabresi 教科書『アメリカ不法行為法』 pp.217-218. ➡ 現代の製造物責任法に於いては、名称が変わって「best risk minimizer」という名称で引き継がれている。 教科書『アメリカ不法行為法』 pp. 254-266.
例えば、ファストフード店持ち帰り用ホットコーヒー事件である「リーベック対マクドナルド:Liebeck v. McDonald's Restaurants, P.T.S., Inc.」事件を考えてみよう。 教科書『アメリカ不法行為法』 pp. 2-10; 18-22.
「双方的危険」(すなわち「双方的予防: bilateral precaution」)の場合に、πと⊿の何れが「ベスト・リスク・ミニマイザー」か? 教科書『アメリカ不法行為法』 pp. 18-20.
レシピ上高温に温度設定された持ち帰りコーヒーは、持ち帰ってからも美味しいという「便益」(benefit)や「効用」(utilities)がある。他方、高温な温度設定は、大やけどの「危険性」(risk)も併せ持つ。
大やけどの事故はどのように生じるか?
(1)高い温度、と(2)肌の接触時間の長さ、
の双方が大やけどに至る為には必要。どちらか一方が欠ければ大やけどには至らない。
(1)の高温を下げる費用と、(2)の接触時間の短縮と、何れが安価な事故回避費用であろうか?
(1)は⊿(M社)側が採り得る事故回避策。(2)は利用者側が採り得る回避策。
もし(1)の回避策を採ると、大多数の利用者が持ち帰ってからも温かくて美味しいコーヒーを楽しむ効用・便益を奪うという大きな費用が生じる。すなわち、ぬるくてマズい持ち帰り用コーヒーを大多数の利用者に強いることになる。
他方、(2)の事故回避策をπ(ヒガイシャ)側が採っても、発生する費用は、こぼさないようにちょっと注意する費用と、万が一こぼした場合にも直ぐに拭き取るという簡単な動作の費用に過ぎない。
すなわち、(2)の方が(1)よりも大幅に安価である。言い換えれば、⊿ではなくπの方がbest risk minimizer(古い文言を用いるならば「cheapest cost avoider」)である。
従って、πを敗訴させることにより、将来、πと同じ立場に居る利用者達も、こぼさないように、又はこぼした場合には直ぐに拭き取るように行動するインセンティヴを付与することになり、事故回避の為に温度を低く設定して生じる(ぬるくてマズい持ち帰りコーヒーを大多数の利用者が飲まされるという)多大な事故回避費用を低額に抑えつつ事故回避策を採らせて事故費用も下げることに繋がる。
「π=消費者」という短絡的思考は避けるべき。 「π≠消費者」の場合が在るのである!! (すなわち善良で注意深い大多数の消費者と、愚かなπとでは、利害が相反するのである!!))
【不法行為法の「法と経済学」からの目的】 「道具主義・道具理論」(instrumentalism)、
Guido Calabresi: 「事故費用」(accident costs)と「事故防止(回避)費用」(preventive costs)の和の極少化。 「運用費用」(administrative costs)も減らすべき。
「効率性」(efficiency)=法と経済学的分析
すなわち、「最適」(optimal)なレベルを目指す。 → See R. PosnerのB<PLのグラフ、平野@図表#26, 270頁("optimal level of care")。
平野『アメリカ不法行為法』infra, at 30. --- 報復・謝罪--- 「損害賠償責任の目的の研究」を参照 → 映画「エリン・ブロコビッチ」も。 復習の代替手段、「土下座」させたい? !(have his enemy “on bended knee”敗北宣言としての屈辱を与えて応報的渇望を満たす)、金銭を奪う等の制裁を課すことによる修復的効果、⊿に敗訴の烙印を課すことによる充足、均衡の修復、主張する機会(結果を決める過程への参加の機会)を付与されることや、中立的な権威(裁判所)が主張を聞いてた上で慎重に審議してくれる過程が重要(真摯に扱われたい願望の充足)("a day in court")(*1)、「謝罪」とは敬意を払うことであり、責任を認め、かつ、良心の呵責・後悔を表明すること…。 / 「効率性」(efficiency)(法と経済学)と「公正さ」(fairness)(倫理哲学)(後掲)
(*1)「a day in court」のように「day」という単語は、次の有名な映画の場面のようなものもある。「ダーティー・ハリー」。
____________________.
主な類型は、「故意による不法行為」か、「過失責任」か、「厳格(無過失)責任」か?平野『アメリカ不法行為法』infra, at 66 fig.#4. PL法と医療過誤訴訟。
過失責任主義
【過失責任主義】(「一般不法行為」民法709条)(全ての活動は危険であり、__お互い様な社会__である故に、過失がある場合にのみ責任=費用転嫁を限定。↓
お互い様な社会 ➡ 互酬性(reciprocity)
平野『アメリカ不法行為法』infra, at 66 図表#4, 42図表#2 原則は、一般不法行為=過失責任主義(過失なければ責任なし) イマニュエル・カント的な平等の論理――個人は幸福を自由に求めるけれども、他人の自由をも平等に尊重すべき。∴平等な注意義務を課されるべき。世間は狭いし、活動は危険を必然的に伴うので、注意を払っても生じる危険は互いに受忍すべき。 「賠償の互酬原理」reciprocal principle of recovery)。Id. at 299 (Perryによる「受容された相互作用」accepted interaction), 344-46 (Fletcherによる「賠償の互酬原理」reciprocal principle of recovery)) --- 逆に言えば、社会の構成員は皆、注意を払って行動する義務を負う。問題は何処までの注意を払うべきか?
Id. at 97. 要件は「注意義務」+「違反」+「因果関係」+「損害」=責任。
ちなみに日本でも民法709条「故意または過失によって、他人の...利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」
「故意または過失」+「責任能力」+「権利侵害」+「因果関係」+「違法性阻却事由の不存在」+「損害」=責任。過失(注意義務違反)は「予見義務」違反と「結果回避義務」違反...
Id. at 100, 377~. アメリカでも予見可能性は必須。 / 「ex ante」(事前)の⊿の判断を、「ex post」(事後)に裁判所が判断する → 「あと知恵の偏見」(hindsight bias)のおそれアリ。Id. at 370~ / 過失基準=リーズナブル・パースン・スタンダードは、ミスも犯す不完全な人間に対して完璧を求めるから、非常に厳しい基準である。
平野『アメリカ不法行為法』infra, at 66-67 & n.105 (悪い行為、正当化、行為基準). "reasonable person std." 客観基準、予見可能性(See also平野infra, at 121---協調を促進)、コミュニティ・スタンダード、ノン・フィザンンスは原則として無責(Good Samaritan@p.148-49 & n.180.な義務なし←→法と経済学は批判) Id. at 96-105. / ←→ 「エンタープライズ責任」 Id. at 44-47(ナイフで受傷したヒガイシャに対しナイフ・メーカーが責任を負わされるようなもの故におかしい). / 尤も一定の分野は社会保障的制度(公的救済制度)でカバー。 Id. at 48-53 (運用費用が安価・迅速、勝訴しなくても救済される).
___________________.
【過失責任主義の続き--具体的な基準の模索】 原則は、一般不法行為=過失責任主義(過失なければ責任なし) ∵世間は狭いし、活動は危険を必然的に伴うので、注意を払っても生じる危険は互いに受忍すべき。 / 要件は「注意義務」+「違反」+「因果関係」+「損害」=責任。平野『アメリカ不法行為法』infra, at 97. ちなみに日本では、「故意または過失」+「責任能力」+「権利侵害」+「因果関係」+「違法性阻却事由の不存在」+「損害」=責任。 / 「リーズナブル・パーソン・スタンダード」 → より具体的な基準を求めて.... → 「制定法違反即過失」(negligence per se)Id. at 109. / 「業界慣行」(custom)Id. at 109, 146(e.g.,専門家責任以外ではsome evidenceに過ぎないので、conclusive evidenceではない)、「過失推定則」(res ipsa loquitur)Id. at 109-10 (倉庫から落ちて来た樽で歩行者が受傷) → エスコラ事件(コカコーラのボトル爆発事件では要件を緩和して適用) / → より明確な行為規範へ: → 「ハンド・フォーミュラ」
「過失責任主義」の続き(具体的な基準の模索と「ハンド・フォーミュラ」)
平野『アメリカ不法行為法』infra, at 101~ 過失責任は酷である。
「リーズナブル・パーソン・スタンダード」 「コミュニティー・スタンダード」 → 要は、社会が求める注意を払う義務。それでは何が社会の求める注意義務なのか? より具体的な基準を求めて ... 「業界慣行」「制定法違反即過失」、そして危険の計量 ↓
平野『アメリカ不法行為法』infra, at 106. 「注意義務」(duty of due care)の範囲・射程が一番重大な争点になって来た。すなわち、何処まで注意義務を払えば免責されるかという限界値が重要。 See also VELJANOVSKI, infra, at 186.
→ 「リーズナブル・パーソン」ならば何処まで注意を払うべきか?
Id. at 106~ 「ハンド・フォーミュラ(ハンド判事の公式)」Id. at 106-07, 266~(「期待事故費用」と「回避費用」)(Hand Formula: B<PL→negligence), 267-68 & n.154(定義と'47年のCarroll Towing判例)、リスク(PxL)は「期待値」で表す。 / R.ポズナーによる解釈、図表#26の解説 。 / 人類がアルマゲドン対策をしない理由は、「L」が多額であっても「P」が余りにも低いから、結局は「PxL」も低いので、高額すぎる「B」を人類が負担しようということに成らない。
【ハンド・フォーミュラ(ハンド判事の公式)】
平野『アメリカ不法行為法』infra, at 266, 268-69& n.154. 「ハンド・フォーミュラ(ハンド判事の公式)」の定義と'47年のCarroll Towing判例、について。
"liability depends upon whether B is less than L multiplied by P ...."
by Learned Hand, J.
Hand Formula: B<PL→negligence
新しい第三次リステイトメント案にも採用されている。→ 平野『アメリカ不法行為法』infra, at 273.
義務違反が生じたか否かの判断に際しては、三つの要素の相互作用が重要。平野『アメリカ不法行為法』infra, at 312. See also VELJANOVSKI, infra, at 188-89.Bが安価な場合には有責と判断され易い。「The T.J. Hooper」判例(平野infra, at 109) (無線機を設置する費用は安価で、嵐の情報を得て難破を回避できるという効果は絶大); 「Wagon Mound 2」(平野「補追」)判例も(湾内の火災というLが甚大で、Bは比較的安価と評価された為に有責判決)。 / PLが小さい場合には無責と判断され易い。「Bolton v. Stone」判例(平野「補追」) (クリケット場のフェンスを越えて歩行者が受傷 --飛び出す蓋然性(6回/過去30年)も、当たる蓋然性も(過去90年で0件)低いし、フェンスを更に高くしたりクリケット場を移転する費用は高額).
- 平野『アメリカ不法行為法』,infra, at 105-07. 「期待事故費用(expected accident cost)」と「回避費用(accident avoidance costs)」
- Id. at 269-71 & fig.26. Richard A. Posnerによる解釈。「最適な(optimal)」注意レベル(平野at 270)を目指す。
- 不法行為法の目的は、「事故費用+事故回避費用」の総和を極小化すること。平野『アメリカ不法行為法』,infra, at 218. Guido Calabresi
- 「費用便益分析」(cost-benefit analysis: CBA)(平野infra at 107)に影響。 → 「便益」は「PLの減少」として捉えて、「費用」はBと捉える。(回避・防止費用Bを費やして得られるのがPL減少という便益である。)
- 平野『アメリカ不法行為法』infra, at 288-89. 「危険効用基準」(risk-utility test)のトレードオフな分析・基準が影響。「危険効用基準」とは、行為・活動の効用面が危険面を凌駕しなければ過失であると捉える基準(平野infra, at 107, 288)。 すなわち行為・活動が危険と効用の両面を有していて、相互にトレードオフな関係にあると捉える。 → ∴「ハンド・フォーミュラ」的には、行為・活動が生む「危険」をPLとして捉えて、行為・活動を防止・減少させるBは「効用」の減少であると捉えることも可能。(効用を減らせば危険も減る、効用が増えれば危険も増える)
【ハンド判事の公式 --- B<PLの補足】
「ハンド・フォーミュラ」のPLは「期待事故費用(expected accident costs)」という期待値なので、「危険中立」的選好を前提にしている。平野 at 238.
「危険回避」(risk averse)的選好と「危険愛好」(risk preferring)的選好と「危険中立」(risk neutral)的選好 → 平野『アメリカ不法行為法』infra, at 283-85(中立とハンド・フォーミュラ); 238-39 (回避と愛好).
→ 「不均衡基準(disproportionate std.)」の反論 from 倫理哲学的分析 by Keating. Id. at 310. CP>PMではなく、むしろCP>>PM (CP=Cost of Prevention; PM=Probability x Magnitude of injuries) 即ちB<PLではなく寧ろB>>PL。
Id. at 312 (ハンド・フォーミュラが秀逸な2つの理由)と「費用便益分析」(cost-benefit analysis: CBA)/「危険効用基準」(risk-utility test)
次回はテキストの以下を読んでおくこと。
219~227頁(危険分散の理論、deep pocket theory、cheepest-cost avoider、分配的正義)、
291~292頁&脚注5(矯正的正義)、
109~110頁(reasonable person std.に代わる具体的な過失基準としての「業界慣行」「制定法違反即過失」)、
106~107頁(reasonable person std.に代わる具体的な過失基準たるHand Formula: B<PL)
266~273頁(Hand Formulaの続き)
285~290頁(Hand Formulaと危険効用基準)
See平野晋『アメリカ不法行為法---主要概念と学際法理』342-44頁(中央大学出版部、2006年)の第二部、第II章.
「法と経済学」および「批判的法学研究」(CLS: critical legal studies)との比較に於いて、第三番目の法の原理的な学派としてのジョン・ロールズのことを、倫理哲学的に不法行為法を分析する指導的学者のGeorge P. Fletcherは以下の論考に於いて次の様に指摘しています。
出典: George P. Fletcher, Why Kant, 87 COLUM. L. REV. 421 (1987).
- 非功利主義者的な諸価値(nonutilitarian values)に法の原理を置こうと試みる第三のグループは、「規範的法哲学者」(normative legal philosophers)と呼ばれる。彼等は以下の二つの前提に立っている。①効用と効率を凌駕する「権利」を個人が有していること。および、②規範を構築することによって倫理的生活と法的生活を形成することが可能であること。
- 以上の前提に立つ中心的な著作は、JOHN RAWLS, A THEORY OF JUSTICE (1971)である。
- ところでロールズの「原初状態」の方法(Rawls' method of the original position)は、一方当事者が他方当事者を不適切に侵害乃至加害したか否かという典型的な民事法律紛争を解決する為のルールを余り教えてくれない。何故なら原初状態に於いては、カガイシャとヒガイシャの双方を満足させるようなルールを採用する余地など存在しないからである([T]here is no way in the original position to adopt a rule that would be satisfactory to both transgressor and victim.)。
Fletcher, Why Kant, supra, at 428-29.
有名な批判は、ドゥオーキンの以下の論文です。
Ronald M. Dworkin, Is Wealth a Value?, 9 J. LEGAL STUD. 191 (1980).
「法と経済学」は、社会に於ける富の極大化を善として、それ自体が目的化しているようです。
しかし、富の極大化自体が何故、善なのでしょうか?
法が本来目指すべきは、「福祉の極大化」(welfare)であるべきです。
「法と経済学」という比較的新しい学際的学問分野の出現に於いては、いわゆる「シカゴ学派」(Chicago School)がその勃興に貢献したという指摘を、しばしば目にします。
それでは一体、その法と経済学のシカゴ学派というものはどのように出現したのでしょうか?その歴史を簡潔に示すものとして、以下の論考の中から紹介しておきましょう。
出典: Minda, James Boyd White's Improvisations of Law As Literature, infra, at 157, 168-170.
アメリカでは古くから学際的に法律学を研究していた点を、倫理哲学的に不法行為法を分析する指導的学者のGeorge P. Fletcherが、以下の論考に於いて次の様に指摘しています。
出典: George P. Fletcher, Why Kant, 87 COLUM. L. REV. 421 (1987).
(n.17)Calabresi, Some Thoughts on Risk Distribution and the Law of Torts, 70 YALE L. J. 499 (1961).
(n.18) K. LLEWELLYN & E.A. HOEBEL, THE CHEYENNE WAY (1941).
この点についても、前掲George P. Fletcherが、以下の論考に於いて次の様に指摘しています。
出典: George P. Fletcher, Why Kant, 87 COLUM. L. REV. 421 (1987).
*****************************************************************************************************************************
"[E]very lawyer ought to seek an understanding
of economics" because [w]e learn that
for everything we have to give up something
else, and we are taught to set the advantage
we gain against the other advantage we lose,
and to know what we are doing when we elect.
*****************************************************************************************************************************
Oliver W. Holmes, The Path of the Law, 10 HARV. L. REV. 457, 474 (1897) cited in
Stephen G. Gilles, The Invisible Hand Formula, 80 VA. L. REV. 1015, 1042 (1994).
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