ジムは、先ず講義の最初に、掲題の順番で話を進める、と述べられた。
@エレン・ワーズハイム教授の電子メールについて
エレンは電子メールの中で、虎をペットとして飼っている飼い主が厳格責任を課される、云々とゆー話を書いている(電子メール2ページ目=裏面第一段落)。これは明らかに「異常に危険な活動」の§520の例を用いている訳だが。そして、彼女の立場は、因果関係の無い場合にまで責任を拡大している訳ではないとして、飼い主が有責に成るのは虎の危険な性格ゆえであるから、たとえば客人が虎をひっぱたいて逆襲されたよーな場合には飼い主に厳格責任は及ぶべきではない云々と書いている。
しかしこのエレンの立場は、依然として、製品全体の危険性を集合的(aggregate)に論じて欠陥だと言っているのであり、限界値的(marginal)に製品の改善が是か否かを分析した上での欠陥の認定ではない。そして我々の裁判所(アメリカの裁判所)はエレンのよーな立場を採っていない。我々の裁判制度は、製品を分類毎に全体として攻撃することはせず、寧ろ限界的に攻撃(marginally
attack)するのである。アグリゲートに危険効用分析を行えば、何処までの危険を計算に入れるべきかの際限が分からなくなってしまう。虎の噛みつく危険のみか、ひっかく危険も入るのか、とびかかる危険はどーか、とゆーよーに果てしなく危険があり、その全ての危険を補償せよ(paying
all the harm)とゆーのである。。
そのよーに責任を果てしなく拡大して行くと、「causation difficulty」(何処まで責任を拡大するか不明になる)や、ジムの言葉で言えば「insurability difficulty」を生じる。保険の引き受け者(under-writer)は、果たして何処までの危険を引き受けるべきか解らなくなってしまうのだ。
なおジムは、エレンのことを知っていて、友人でもある。尤もcloseな友人ではないし、アーロン(Arron Twerski)とジムはいつも彼女の標的なのだが
. . .(Arron and I are always the target of her . . .)――ここで学生(笑)――。
A「Dawson」(ドーソン)事件について
設計欠陥は、[a RADを用いる主流的な分析の場合]過失的な性格を有している。しかし「ドーソン」事件では、サイド・レールに隙間(a gap in the side-rail)がある設計だと側面衝突事故で欠陥扱いされ、逆にサイドレールに隙間を無くす強固な設計に直すと正面衝突事故で衝撃を吸収せずに欠陥扱いされてしまう。何れにせよ責任を課されるとゆーことに成るから、これ(Dawson problem)は正に厳格責任、或いはエンタープライズ責任である!そしてこれは、何ら有用なルール・規範を示していない!(It's NOT NORMATIVE.)
[p. 262の]アーロンとジムとの会話の、250ポンドの重量増加の代替設計案が分類毎責任に該当するか否かの問題、すなわち分類毎責任と、限界値的なRADとの境界を何処で決めるのか?について。それは、「substatutability」(代替[案提示]可能性)にある!
裁判所は「offensive collateral estoppel」(攻撃的な争点効)を適用しない。
ところで、昔、Ford社の「War Room」に行ったとき。そこは正に戦争の軍略会議室のよーで、全米の地図が貼ってあって、そこに提訴された事件の場所がピンで止められていた。例えばサイド・レールに隙間があると欠陥だと判断されたら、自動車メーカーは設計変更をすべきか否か? 設計変更をすれば、他の訴訟にも悪影響が及んでしまう。設計変更は自らの欠陥の存在を「自白」(admission)するようなもので、自身を非難すること(blame
yourself)に成ってしまうから。尤も『連邦証拠法規則』(FRE)407があるのだが…。
(この点について、後でジムの研究室に押しかけて質問――FRE R407は、設計変更を奨励するとゆーパブリック・ポリシーから、事故後(?)の証拠採用を禁じていているのに、何故、設計変更は訴訟戦略上、不利なのか? ジム曰く、確かに欠陥を立証する為の証拠採用は禁じられているけれども、例えば代替案の実現可能性を立証する為に事後的な設計変更の証拠を認容させたり、代替案となる工学技術の利用可能に成った時期を立証する為にも事後設計変更の証拠を認容させたりといった、色々な手段をπ側は使って来られる。だから、訴訟防禦戦略的には、そのように不利に使われ得る設計変更は採らない方が望ましい云々とゆーことになる。「Don't change horses
in midstream」とゆー慣用表現がアメリカにはあるよーに。あるいは「No right deer . . . . 」(正しい鹿は常に非難を免れない?)とゆー慣用表現もあるよーに、正しい選択肢を採ることが常に正しく評価されるとは限らない
. . .。これに対して、僕から追加質問として、しかし設計変更が多くの人々を救えると知りながら採用しなければ、却って故意を問われて懲罰賠償に繋がるリスクもあるのだから、正にジレンマに陥るのではないか?と。すると、ジム曰、そのジレンマの論点は、教科書の後の方の警告懈怠の文脈で論じている、pp.358-359。警告ラベルを貼るべきか否かを悩んだとき、貼らなければ懈怠で訴えられ得るし、貼れば警告義務があったことを自認することになるのでその危険が明白だから警告義務がなかったとゆー抗弁が使えなくなってしまって、後は警告の内容・程度の十分性を争うしかなくて、これは結構難しい防禦に成ってしまうとゆージレンマがある。――結局、設計変更については疑問が残ってしまったが、未だこの論点についてジムは講義の準備を詰めていなかったところに、僕が範囲を超えた突っ込んだ議論をしたのが時宜に適っていなかったことを反省。)
B消費者期待基準について
[消費者期待基準の源と云われている]§402Aの「コメントi」[は、製造上の欠陥を念頭に置いていた]。 アルコール飲料それ自体を非難はしない云々と記述している。
消費者期待基準と定義すれば、これは包括的な定義ではないけれども、特徴を示せば、以下の二種類に分類できる。
(1)誤作動型。製造物責任リステイトメントの§3に規定されている、「製品誤作動」(products malfunction)は、消費者の期待を失望させたと云える。ちなみに「製造上の欠陥」も、消費者期待基準で判断できる。
(2)「a RAD」が被害を防止でき得た場合。これは、消費者が「理に適った代替設計を期待する権利」(right to a reasonable alternative design)を裏切っていると云える。
製造物責任リステイトメントは上の双方を採用。すなわち我々の裁判所は上の双方を採用している。
消費者期待とは、(i)例えば3,000人のミシガン州の自動車運転者に対してsurveyを行った結果のデータのようなものか、又は (ii)πが何を期待していたのか、か? もし後者(ii)だったら、π自身による、「こんなことになるとは期待していなかった」とゆー証言だけで立証が終わってしまい、後は陪審員がその証言を信用するか否かだけとなってしまう。裁判所の過半数の立場は前者(i)である。
「Heaton」事件では、πがハイウエイで数インチの直径の岩に乗り上げてから、異常がないか否かを調べもしないで走行を続けた。論点は、そのスピードでその程度の岩に乗り上げても平気なクルマを設計すべきだったか否か? 反対意見は、もし岩の大きさがもっと小さければ、誤作動(malfanction)と云えると指摘。
もし[岩に乗り上げて走行を続けても平気なよーな]宣伝がなされていれば、消費者の期待を引き上げているので、明示の保証違反が使えるだろー。
以下、来週に。
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