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研究#Sept2011 
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(NY州イサカ市)
 
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ヘンダーソン教授の講義「Products Liability」の教科書(ケース・ブック)(左端)と、
教室入口(中央)と、
授業計画表(シラバス)(右端)。
なお教科書は、2011年に発表された最新改訂版(第七版)*

ニュース・日記

 
9月の研究
2011年9月29日(木)
@エレンの電子メールについてと、A「ドーソン」事件の続きと、B消費者期待基準について

ジムは、先ず講義の最初に、掲題の順番で話を進める、と述べられた。

@エレン・ワーズハイム教授の電子メールについて

エレンは電子メールの中で、虎をペットとして飼っている飼い主が厳格責任を課される、云々とゆー話を書いている(電子メール2ページ目=裏面第一段落)。これは明らかに「異常に危険な活動」の§520の例を用いている訳だが。そして、彼女の立場は、因果関係の無い場合にまで責任を拡大している訳ではないとして、飼い主が有責に成るのは虎の危険な性格ゆえであるから、たとえば客人が虎をひっぱたいて逆襲されたよーな場合には飼い主に厳格責任は及ぶべきではない云々と書いている。

しかしこのエレンの立場は、依然として、製品全体の危険性を集合的(aggregate)に論じて欠陥だと言っているのであり、限界値的(marginal)に製品の改善が是か否かを分析した上での欠陥の認定ではない。そして我々の裁判所(アメリカの裁判所)はエレンのよーな立場を採っていない。我々の裁判制度は、製品を分類毎に全体として攻撃することはせず、寧ろ限界的に攻撃(marginally attack)するのである。アグリゲートに危険効用分析を行えば、何処までの危険を計算に入れるべきかの際限が分からなくなってしまう。虎の噛みつく危険のみか、ひっかく危険も入るのか、とびかかる危険はどーか、とゆーよーに果てしなく危険があり、その全ての危険を補償せよ(paying all the harm)とゆーのである。。

そのよーに責任を果てしなく拡大して行くと、「causation difficulty」(何処まで責任を拡大するか不明になる)や、ジムの言葉で言えば「insurability difficulty」を生じる。保険の引き受け者(under-writer)は、果たして何処までの危険を引き受けるべきか解らなくなってしまうのだ。

なおジムは、エレンのことを知っていて、友人でもある。尤もcloseな友人ではないし、アーロン(Arron Twerski)とジムはいつも彼女の標的なのだが . . .(Arron and I are always the target of her . . .)――ここで学生(笑)――。

A「Dawson」(ドーソン)事件について

設計欠陥は、[a RADを用いる主流的な分析の場合]過失的な性格を有している。しかし「ドーソン」事件では、サイド・レールに隙間(a gap in the side-rail)がある設計だと側面衝突事故で欠陥扱いされ、逆にサイドレールに隙間を無くす強固な設計に直すと正面衝突事故で衝撃を吸収せずに欠陥扱いされてしまう。何れにせよ責任を課されるとゆーことに成るから、これ(Dawson problem)は正に厳格責任、或いはエンタープライズ責任である!そしてこれは、何ら有用なルール・規範を示していない!(It's NOT NORMATIVE.)

[p. 262の]アーロンとジムとの会話の、250ポンドの重量増加の代替設計案が分類毎責任に該当するか否かの問題、すなわち分類毎責任と、限界値的なRADとの境界を何処で決めるのか?について。それは、substatutability」(代替[案提示]可能性)にある!

裁判所は「offensive collateral estoppel」(攻撃的な争点効)を適用しない。

ところで、昔、Ford社の「War Room」に行ったとき。そこは正に戦争の軍略会議室のよーで、全米の地図が貼ってあって、そこに提訴された事件の場所がピンで止められていた。例えばサイド・レールに隙間があると欠陥だと判断されたら、自動車メーカーは設計変更をすべきか否か? 設計変更をすれば、他の訴訟にも悪影響が及んでしまう。設計変更は自らの欠陥の存在を「自白」(admission)するようなもので、自身を非難すること(blame yourself)に成ってしまうから。尤も『連邦証拠法規則』(FRE)407があるのだが…。

(この点について、後でジムの研究室に押しかけて質問――FRE R407は、設計変更を奨励するとゆーパブリック・ポリシーから、事故後(?)の証拠採用を禁じていているのに、何故、設計変更は訴訟戦略上、不利なのか? ジム曰く、確かに欠陥を立証する為の証拠採用は禁じられているけれども、例えば代替案の実現可能性を立証する為に事後的な設計変更の証拠を認容させたり、代替案となる工学技術の利用可能に成った時期を立証する為にも事後設計変更の証拠を認容させたりといった、色々な手段をπ側は使って来られる。だから、訴訟防禦戦略的には、そのように不利に使われ得る設計変更は採らない方が望ましい云々とゆーことになる。「Don't change horses in midstream」とゆー慣用表現がアメリカにはあるよーに。あるいは「No right deer . . . . 」(正しい鹿は常に非難を免れない?)とゆー慣用表現もあるよーに、正しい選択肢を採ることが常に正しく評価されるとは限らない . . .。これに対して、僕から追加質問として、しかし設計変更が多くの人々を救えると知りながら採用しなければ、却って故意を問われて懲罰賠償に繋がるリスクもあるのだから、正にジレンマに陥るのではないか?と。すると、ジム曰、そのジレンマの論点は、教科書の後の方の警告懈怠の文脈で論じている、pp.358-359。警告ラベルを貼るべきか否かを悩んだとき、貼らなければ懈怠で訴えられ得るし、貼れば警告義務があったことを自認することになるのでその危険が明白だから警告義務がなかったとゆー抗弁が使えなくなってしまって、後は警告の内容・程度の十分性を争うしかなくて、これは結構難しい防禦に成ってしまうとゆージレンマがある。――結局、設計変更については疑問が残ってしまったが、未だこの論点についてジムは講義の準備を詰めていなかったところに、僕が範囲を超えた突っ込んだ議論をしたのが時宜に適っていなかったことを反省。)

B消費者期待基準について

[消費者期待基準の源と云われている]§402Aの「コメントi」[は、製造上の欠陥を念頭に置いていた]。 アルコール飲料それ自体を非難はしない云々と記述している。

消費者期待基準と定義すれば、これは包括的な定義ではないけれども、特徴を示せば、以下の二種類に分類できる

(1)誤作動型。製造物責任リステイトメントの§3に規定されている、「製品誤作動」(products malfunction)は、消費者の期待を失望させたと云える。ちなみに「製造上の欠陥」も、消費者期待基準で判断できる。

(2)「a RAD」が被害を防止でき得た場合。これは、消費者が「理に適った代替設計を期待する権利」(right to a reasonable alternative design)を裏切っていると云える。


製造物責任リステイトメントは上の双方を採用。すなわち我々の裁判所は上の双方を採用している。

消費者期待とは、(i)例えば3,000人のミシガン州の自動車運転者に対してsurveyを行った結果のデータのようなものか、又は (ii)πが何を期待していたのか、か? もし後者(ii)だったら、π自身による、「こんなことになるとは期待していなかった」とゆー証言だけで立証が終わってしまい、後は陪審員がその証言を信用するか否かだけとなってしまう。裁判所の過半数の立場は前者(i)である。

Heaton」事件では、πがハイウエイで数インチの直径の岩に乗り上げてから、異常がないか否かを調べもしないで走行を続けた。論点は、そのスピードでその程度の岩に乗り上げても平気なクルマを設計すべきだったか否か? 反対意見は、もし岩の大きさがもっと小さければ、誤作動(malfanction)と云えると指摘。

もし[岩に乗り上げて走行を続けても平気なよーな]宣伝がなされていれば、消費者の期待を引き上げているので、明示の保証違反が使えるだろー。

以下、来週に。


2011年9月28日(水)
Dawson」(ドーソン)事件と、前回の議論の続き
予習範囲:pp.257-266
教室に入って、先ずジムは、授業の予習範囲の告知を板書。
Thur: 266-280
Tue: 281-286


1.前回の続きの議論

学生の一人のジェフが、エレンに電子メールで質問し、彼女が答えて来た。そのコピーを皆に配布して、次回、これを論じるとした。なお、エレンの、製品分類毎責任の擁護の主張について、これは主流派の主張ではないとのこと。

それにしても昨日の授業の議論を、論敵の教授に電子メールで学生が質問して、論敵教授もこれに応えるとゆーやりとりは、日本では在り得ない驚き。結構開かれた議論が行われるのか、アメリカの法学教授たちの間では??? 

(↑後日、いきさつをジムに確認したら、ジェフはエレンを知っていたからこーゆーことに成ったとのこと。ジェフは、Villanova University School of Lawからの転入生で、彼がそこに一年生としてい在籍していた時にたまたまエレンの受講生だったから、電子メールで今回の議論について尋ねたところ、彼女も答えてくれたとのこと。だからこの電子メールもジムの講義で議論することに成った。ジム曰く、例えば僕がNYUロースクールに在外研究先を移したと仮定して、そこでジムの論文が論議されていたので僕がジムに電子メールで質問したら、ジムが僕の質問に答えてくれるよーなものだ、と。さすがはハイポ(仮想事例)を使い慣れた法学教授らしい、極めて分かり易い説明である。なお、アメリカでも、全く知り合いでもない学生が、いきなり他校の教授に電子メールで質問するよーなことは、普通は無いとのこと。ちょっと安心。)

ところで「オブライアン」事件について、Schreiber, J.(シュライバー判事)の一部同意・一部反対意見が第二次リステイトメント§520の「Abnormally Dangerous Activities」(異常に危険な活動)の場合の厳格責任を引き合いに出している点を議論。p. 243。シュライバーは、ケース・バイ・ケースに陪審員に絶対責任を認定させることに反対し、一貫した判断を下させる為に、絶対責任を課される場合を「異常に危険な活動」の要件のようにリスト化すべきと主張している。

しかし、異常に危険な活動は、製品が危険だから厳格責任を課されるのではなく、利用者(user)が不適切な場所で使用するから厳格責任を課されているのである[から、製造物責任とは異なる]例えばダイナマイトは、それ自体とても危険だが、その製品自体が欠陥で厳格責任を課される訳ではない。問題は利用者が、不適切な場所で使用する点にある。すなわち異常に危険な活動は、製品ではなくその製品の最終利用者、縦のプリィテヴィー(vertical privity)の最後に居る利用者が不適切な使用をする点が責任の核心となっている[から、製品自体の欠陥が核心と成る製造物責任とは異なるのだ!]。諸君も一年生の[必修科目の不法行為法の]時に学んだミンク事件も、ダイナマイト自体が責められていたのではなく、ミンク養殖場の近くで爆発させてミンクがショックで損失する点が問題だったことを思い出して欲しい。

ところでシュライバー判事は製品分類毎責任が適用され得る例として「toy gun」を挙げて説明しているが、この例をリステイトメントの「コメントe」で拝借させていただいた。論調は異ならせたのだが。

ところで何故、判例では支持されていない、すなわち製品分類毎責任を支持するような判例が無いのに何故、リステイトメントの「コメントe」をALIは採択したのか?「コメントe」と「コメントd」は相反するとの批判もある。確かに一貫性を欠くこと(incoherent)に成ったが、原告弁護士団体からの圧力があり、彼らの主張は判例に基づいてはいないのだが、妥協が為されたのである。p. 236参照 (不承不承に「コメントe」を採用したと起案者の一人ジムが認めている云々との記述あり) 

(後でジムの研究室に押しかけて、この話をせがんだところ、ジムは以下のよーにおっしゃっていた。ALIは「private legislature」と呼ばれる存在で、圧力団体の圧力も受けるし、原告側弁護士団体の者も会員に取り込んで多様性を増そうとの努力もしている。妥協をした訳だが、しかし、結局は「コメントe」をリステイトメントに採用しても実際には裁判所がこれに依拠して暴走する害もないだろーと思ったし、実際、そーなった、と。)

Parish」(パリッシュ)事件について。トランポリンは危険だけれども、しかし効用があると判断された。警告懈怠の請求も、危険が明白だから却下された。設計欠陥の場合と警告懈怠との違いがここにある。すなわち警告義務は危険が明白ではない場合についてのみ課される[けれども、設計欠陥はそーとは限らない?!]。

2.「Dawson」(ドーソン)事件

本件はmalfunction型事件ではない。malfunction型(res ipsa loquitur的推認が適用される場合)は、manifestly intended malfunctionの場合だから。本件の自動車の設計者はおそらくこー言うだろう: こんなに速いスピードで横から固いポールがぶつかることなど想定はしていない、と。[だから本件は設計意図を明白に裏切った誤作動ではないのである。]

原告(π)の主張する「a RAD」よりも、本件の設計の方が、正面衝突の場合に衝撃を吸収するから安全性は高い[とゆージレンマ]。「polycentric problem」である。そこでp. 198の「コメントf」参照。ジムがこれを読み上げる――RADが他の全体の安全性を却って危うくするような場合は駄目云々。

ところで、p.262でのアーロン(Twerski教授)との会話のトピックの、代替設計案が250ポンドの重量増加を生じる点が、製品分類毎責任の場合に当たるだろーか? 250ポンド増量がどれだけの意味かはさておいて、例えば重量増加が5%に過ぎないとした場合には、それは製品分類毎責任とは成らないのではないか?

逆に、小型車だから欠陥だと主張して、代替案としてBMW等のギャングが乗るような装甲が附されたような大型車を示すような行為は、本当の「a RAD」ではなく、製品分類毎責任と成る。

本件は、UCCの黙示の保証違反の一つである、「implied warranty for fitness for particular purpose」の法理を使えば説得力があるのではなかろーか?Article 2-315。例えばK−9に登山できるよーな靴が欲しいと客が言って、店員がそれに合う靴を売った場合である。もし靴がK−9登山に適さなかったならば、それは不法行為法的には設計欠陥とゆーこと。「unfit for particular purpose」の次に来る法理は「express warranty」だが、本件では、もし警察が次期ポリス・カー購入の選定において一定の条件を出し、例えばポールが横からハイスピードでぶつかっても乗員が耐えられること、とゆー要求を出していた場合には、本件は「unfit for particular purpose」と成ろう

ところでUCC Art. 2-314の「merchantability」の方は、多くの州で不法行為法上の欠陥と一致させる制定法化が進んだ。なお、リステイトメントの改訂作業のちょうど同じ時期に、UCCも改訂作業が行われていて、政治的な圧力も色々あった。

ドーソン」事件では原告側が三名もの鑑定証人を繰り出している。p.260。原告側が軍隊並みの(army of)鑑定証人を揃えて来ることはしばしば。昔は被告(Δ)側、GM社などが全ての鑑定証人を牛耳っていた時代もあったけれども、今は違う。

2011年9月27日(火)
「製品分類毎責任」(Products Category Liability)と前回の議論の続き
予習範囲:pp.239-257
教室に入って、先ずジムは、授業の予習範囲の告知を板書した。
Wed: 257-266
Thur: 266-280


次に、僕をヘンダーソン先生が学生の皆に紹介して下さった。
曰く、東京の中央大学の教授で、製造物責任法や不法行為法、サイバースペース法の研究者で、Distinguished Visiting Scholarとして一年滞在の予定である。著作が多数。履歴書(含,業績リスト)は18ページにも及び、普通の教授では書けない位に沢山の業績がある。アメリカ法にも詳しく、翻訳も沢山こなしている。事実、この授業の前に予習範囲の判例の話になったら、既に平野教授はこれを知っていて、色々興味深い議論をして来た。諸君よりも詳しいから、注意するように!―学生がここで(笑)―。
平野教授との付き合いはもー18年以上に及び、私と妻が東京に行ったときにもご一緒して、更に、実は彼はコーネルのLLMを取得しているので、今回のの彼の滞在は「おかえりなさい」(Welcome back)とゆーことに成る。


と、余りあるお誉めの紹介をあずかった後、講義に入った。

1.前回の続きの議論

僕が参加するのは今回が初めてだが、既に授業は「設計欠陥」の論題に入っていた。これは、製造物責任法の中の中心的なトピックである。本日の講義では、その設計欠陥の前回からの続きの議論が先ず行われた。

「manifestly intended malfunction」とゆーキーワードを口になさっていたので、論題はおそらく「res ipsa loquitur」(レス・イプサ・ロキタ)型の欠陥推認規定のよーだった。日本法的には欠陥&因果関係の推定規定云々とゆー論点である。リステイトメント的には、この要件が当てはまる場合には、原告(π)は「a reasonable alternative design:a RAD」を立証せずに済むとゆー法理が規定されている。そのことを論じているよーなのであった。

なお、「a RAD」の発音をジムは、「ア・ラッド」と発しておられた。論文と本を読んでいただけでは解らない本物の表現(発音)を知って、僕的には何故かとても嬉しい。

ジムは仮想事例(ハイポ:hypo. OR hypothetical)を用いて、学生に問いかける。「もし人が押されてドアに強く当たってそのドアが壊れて怪我を負ったら、欠陥か?」「そのような事故はドアの設計者にも十分予見可能だが . . . 」と。続いて学生とのやり取りがあった後に、こー結んだ。「Don't ask for more than what it intended.」と。すなわち、製品の意図した機能を超えて[余り過大な]安全性を求めてはいけない、とゆー文脈である。(加えて自動車のシートが壊れた場合は云々とおっしゃっていたので、おそらくはp.190のリステイトメント§3, コメントbのイラストレーション4.の話をしているよーにも思えた . . . )

次にやはり前回の続きの議論のよーで、警告さえ貼れば設計欠陥を免れる訳では無い云々とゆー論点。教科書はpp. 235-236辺りに記載のある、旧リステイトメント§402Aの「コメントj」と、新リステイトメントの「コメントl (エル)」について。更にp. 197辺りの「新コメントf」も関係あり[設計欠陥の認定の諸要素の中に警告・指示も含まれている]。
旧ルール(old rule)では、警告が貼ってあれば読まれるものだとされていた(旧402Aコメントj)。しかしその後、人は完全ではないので読まない場合もあるとされるよーになった。そこで「新コメントf」に成って、設計で危険を除去できれば責任を警告で免れる訳ではない(when a safer design reasonably be implemented and risks can reasonably be designed out of a product, adoption of the safer design is required . . . )と成った。

しかし、果たして、何処までを設計で危険を除去(to design out risks)して、何処からを警告に委ねても許されるのか?その最適値(optimal)な所が何処かは不明との話をなさった。すなわち設計上の要素と警告上の要素とゆー2つの変数の相互作用で決まる話だから、複雑に成る、とのご指摘。講義の後にジムの研究室に押しかけて確認したところ、この問題は事実認定者(すなわち多くの場合は陪審)が決める、とのこと。(なお設計で安全性を向上できれば、警告さえすれば責任を免れる訳ではないとゆー指摘は、日本でも立法議事録に在る、と僕からジムには教えておいた。)

2.「製品分類毎責任」(products category liability)について

本日の予習の範囲である掲題の論題について、教科書の順番的には「O'brien」(オブライアン)事件を最初に触れるべきはずだが、[ロースクールでは学生が予習範囲を読んで来ている前提の講義をするので]、いきなりp. 251に記載のある、製品分類毎責任の擁護派のEllen Wertheimer(エレン・ワーズハイマー)の主張の分析に入った。(Ellen, She, her, ...と講義の中で繰り返すので、最初は誰の話をしているのか解らなかったが、p.251で引用してある論文の作者のファースト・ネームを呼んでいることにやっと気が付いた。僕は予習の際、ファミリーネームしか確認していなかったので、この辺りが文化の違いであろー。日本ではTakashiとかSakaeなんて気安く民法学者を呼ばないので . . .。)

エレンの「危険効用分析」(risk-utility analysis)は間違っている。例えば自動車とゆー製品分類は、効用が危険を上回っているから欠陥では無いとエレンは言っている。しかし、自動車をもっと安全にできるか否かが、本当の欠陥の有無の問題なのである。すなわち限界値的(marginal)に、より安全にできるか否か(marginally can be safer)を問うべきなのである。
実際、裁判所も学者も[殆どは]製品分類毎に危険効用を比較することは無い。例えば、アルコール飲料とゆー製品分類は、それなりに色々な効用を有している。その他、規制対象製品は沢山世の中に存在しているけれども、それらの分類毎に効用と危険性を比べて分類全てが欠陥云々とゆー分析を裁判所は避けている。それは裁判所以外の[立法府や行政府の規制の]管轄だ、と裁判所は判断しているのだ。タバコだって、人を害するから欠陥とゆー分析を裁判所はしていない。誤ったmarketingをしたからメーカーに責任を課しているだけなのだ。

エレンは欠陥の範囲を拡大して議論しているのである。その意味では、製品分類毎責任も欠陥に基づく責任であるとゆー彼女の主張は正しい。しかしそれは欠陥の概念を拡大している[だけな]のである。

仮に「O'brien」(オブライアン)事件(底の浅い地上型プールに飛び込みをやって四肢麻痺を負った事件)を、エレンならばどー扱うだろーか?底の浅いプールで溺れ死した人が出たら、どー判断するか?
答えは、プールの危険性が効用を超えるから欠陥とゆーことに成るだろー。「manufacturers shall pay all the harm caused . . .」云々と彼女は主張しているのだから、そーなる。
しかしこれでは、労災保険制度のよーな「no fault [compensation] system」に成ってしまうんじゃないだろーか?No fault sys. replaces torts sys. (ここでジムは、pp. 186-187を参照せよとおっしゃった。そこにはEL:enterprise liabilityに関する記述あり。)

そもそも底の浅い地上型プールに飛び込みをやって首を折る被害者が年間どれだけ発生するとゆーのか?おそらく、酒に酔って屋根から飛び降りる奴よりも少ないはずだ! 実際、データを調べたら、プールの事故では、溺れて死ぬ者の方が断然多いし、その中には酒に酔って溺れ死する者も含まれているのだ。

ところで「オブライアン」事件では下級審はどーゆー判断をして、控訴審はどー言っているのかな? と、ロースクール的な質問を学生に問いかけてやりとり。 論点は、滑りやすいビニール素材の底の浅い地上型プールの代替設計案が出せなかったπの請求を棄却したことが妥当だったか否かであったことに到達。π[側の鑑定人]は、代替設計案として、当該製品の素材のビニールの代わりに、滑り難いゴムを使用すべきと主張したが、実現性が無いとして却下された云々という点について、ジムが補足説明。ゴム製は厚さが凄く厚く、とても持ち上げられない位に重くなってしまう。そんな素材を使ったら、子供たちをプールで遊ばせたいと親が思っても、重過ぎて扱えなくなってしまう。しかも高価だから、教授の安月給ではとても買えない代物になってしまうんだよ、と。

この後、「オブライアン」判決後に、これを覆したと教科書が指摘しているニュージャージー州の立法に触れた。

講義後、研究室に押しかけた僕に対して、ちょっと軽く話し過ぎてすまない、とおっしゃられた(講義ではジョークをいくつも飛ばして学生に受けていたので)。次回はシリアスな話題だとのこと。
 

 中央大学多摩キャンパス「桜広場」を研究室から望む。
Looking down the Cherry Field from my office in Chuo Univ., Tokyo, Japan  
 
   
The author in Horyu-ji, Nara City, Japan